都会の一等地に広大な墓地なんて、土地有効活用性からすれば不経済極まりない
・・・ってことを「楡家の人びと」では主人公の義父が、議会で力説する。
お江戸は、何故か山手線の内側にいくつもの広大な墓地を有しており、
これも、ロラン・バルトいうところの「表徴の帝国」。
お墓は本来的には「個人墓」あるいは「夫婦墓」
昔は当然個人墓だったし、
家制度がなくなってから当然のように
先祖代々の墓とかなんとか家乃墓とは・・・「論理矛盾」である。
しかし、いまや個人墓(夫婦墓)のほうが珍しい・・・
一番は場所確保も含めたコスト面だろうが、慰霊する方の負担もあるのだろう。
お墓についての一番精緻な立論によれば・・・
墓制とは以下の分類によるとのことを
1)遺体の処理形態(遺体の埋葬か遺骨の納置か)
2)処理方法(埋葬か非埋葬か)
3)二次的装置(石塔の建立か非建立か)
現在一般的な「お墓」は「遺骨・非埋葬・石塔建立型」であるり、江戸時代頃からしい。
しかし、個人墓か家族墓のルーツについては定かではないが、明治以降の「家制度」の
確立が主因みたいであって、
家制度が「封建的」というのであれば、江戸時代は、むしろ「民主的」だったのだ。
死んでからも(義父義母と)一緒のお墓に入るのは嫌!って
だから・・いっそのこと散骨でもってあまりに論理の飛躍だ。
死後の世界も夫婦仲良くならば、夫婦墓だし、
あの世は別々よっていうならば個人墓。
最近の墓屋さんは、積極的に夫婦墓とか個人墓の売り込みをやっているが、
これはまあ「需要拡大」の戦術でしょう。
だって「先祖代々」だと、買い替え需要はあっても新規需要があろうはずがない。
最近は、少子化の影響で・・・「御両家の墓」まであるって(苦笑)
蝸牛庵の拙宅はとんでもない田舎なもんで、当然に菩提寺があり、
ドミノ倒しみたいに、夫婦墓がざっと二三十個並んでます。
たいそうな家柄でもなかったのか、当時の慣習か
超ご先祖様のお墓は、ちっぽけなものです。
近年ですかねえ・・・あたりを睥睨するような大仰な大きさになったのは・・・
しかし、菩提寺も墓所が手狭になり、亡父の代に、別の名刹に墓所を求めた
地の利が悪い場所のなので、墓参が大変なんですが、
どうも最近は、青山墓地とまではいきませんが、超人気墓所。
亡父が永代使用権をえた場所はいまや「墓所売りませんか・・・〇〇◯◯万円以上」
・・・なんて勧誘がしつこいくらい。
祭祀財産は、相続税非課税ですので、
当時、もっと買い占めておけば、究極の税対策だったのですが(苦笑)
そこそこの広さで、祖父母の夫婦墓・供養塔を建てて、
両親のお墓予定のスペースを開けている。
亡父の三回忌をひかえた頃、そろそろお墓でも・・・って時に
母親とちょっとした議論。
めずらしくも、夫婦墓よりも家族墓って言い出した。
特段こだわらないし、ケメコさんも賛成するし・・・
まあ、そういこことかって、墓所を一新してしまった。
家族墓・供養塔・墓誌標なんかをあしらって・・・まあこんなもんか
将来誰が供養するのか知らないし、期待もしないが、
なんかあれば売り飛ばして、何年かは遊んで暮らせばいい(笑)
で、どうだっていうのよ?
法然聖人がおっしゃるように、死ねば鴨川の魚の餌が功徳ってもんですから
お墓なんかどうでもいいじゃない。
最近のコインロッカー墓なんかに入れられると、死んでも死にきれませんよ
最近の霊園なんか永代供養っていいながら33年とか50年で無縁となる。
そもそも生きた証をお墓に求めるのは王道ではない。
佐藤一斎先生曰く
少くして学べば壮にして為すことあり
壮にして学べば老いて衰えず
老にして学べば死して朽ちず
0 件のコメント:
コメントを投稿