2015年10月28日水曜日

なんでも「九州起源」説



なんでも「韓国起源」説は、その荒唐無稽性や夜郎自大性に鑑み、抱腹絶倒の極みとしか思えないし、
よもやかようなことを喧伝しているのは、どこにでもいそうな一部の偏執者に限られるが、
その幼児性たるや話題にするのもバカバカしい・・・
例えばですが・・・

剣道
茶道
寿司



しかし「どこにもいそうな」って事がキモであり、同じようなムジナが倭国にもいるようなんですよ。
日本史の虚妄の最たるものは「万系一世的単一民族国家」に如くはない。
いずれもが長い歴史「教育」の中で刷り込まれてしまったものであり、その呪縛からの解放はなかなかに難しい。
歴史は多くの場合多元的であり、結果として淘汰され一本化されるのが常である。
天地開闢以来天皇家が大八洲全体を一元支配していたわけがなく、
古事記にしても書紀神代編はシマの争奪戦の歴史であり、負けた方は、どうも異民族的だ。
古代史は大八洲に限定した世界でもなく、半島エリアを含む東アジア世界で俯瞰しないと真相は見えてこない。


よく分からない古代史は、歴史学的というよりロマン溢れるミステリーの世界だ。
史料・文献・その他物証にも乏しく、想像力さえあれば参入障壁は低い。
従って、プロ歴史家にとっては腹立たしく、ていよく無視するに如かず・・・であるが、
荒唐無稽古代史は枚挙に暇無し。

いろんな理由で我々の先祖の歴史がクリアにならないのは腹立たしい。
邪馬臺(台)国はどこにあったのか?
宮城県という蝸牛庵説はともかくとして、九州と近畿説の対立はもはや学問的な域を超えて
我田引水の感すらある。
邪馬台国はなく、あったのは邪馬壹(壱)国だ・・を唱えた在野の歴史研究家がおられた。
なかなかファンタスティックな説であり、九州王朝説はここに始まる。

素直に古代に思いを馳せれば・・・

戦国時代さながらに各地に王権が有り、
対中国外交では並列してわれこそは正統王権を主張し、
連衡合従を繰り返しながら東遷を行い、
最後は大和の天皇政権に収斂した・・・・が、その後もまつろわぬ地方政権が割拠した。


ところが、九州王朝学派なる存在は、段々に夜郎自大的になってゆく。
いまや、超古代史学派的に「なんでも九州起源説」を唱えるにいたり、学会はもとより
真面目な歴史愛好家からも支持されることは少なくなった・・・
ちなみに・・・

大宰府は倭国の首都であった
伊勢神宮は福岡県糟屋郡から移転した
法隆寺西院伽藍は太宰府都城の観世音寺(又は福岡市難波天王寺又は筑後国放光寺)が移築されたもの
源氏物語はもともと九州倭国における作品で、平安時代に紫式部により改編された
君が代は九州倭国の春の祭礼の歌である
九州では七世紀にすでに貨幣経済があった


これを見れば、韓国起源説なんか幼稚な子供の戯言に聞こえてくる。

















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