場所が確認出来ませんが、モスクワの遥か北方だかウクライナだか・・
なんにせよ厳寒時にはマイナス40度にもなる収容所
生き延びたのは僅か3パーセントに満たないらしい。
多分カティンの森で虐殺された数も算入していると思います。
ダッハウなんかと比較するものではないが、
収容されていた波蘭人は知的な上流・中産階級が多かったようです。
過酷な労働、粗末な食事、ロクな暖も照明のないなか(況んや図書室なんて)
彼等は交代で己の得意分野について記憶だけを頼りに
講座を開設した。
全体の規模感は不詳ですが、ある貴族階級の画家は
失われた時を求めて(プルースト作)について語った。
記憶違いも多く断章的で、批評とも論とも言い難いが、
限界の中で思索を記憶だけで積み重ねたものは尊いし、
余りに日常性から隔絶した風景には恭しい感動すら覚える。
けだしパンのみでいくるにあらず
40年代の始め、ポーランドでプルーストの知名度が如何なるものかは知らない。
仏蘭西文化圏であっても、内容に詳しいと言える層は
限定的だったと思われます。
興味あるテーマだけをつまみ食いする贅沢が許されず、
唯一の知的渇望を癒やす場であったことを思えば
世界一受けたい授業とはこれらを意味する。
よくある「無人島に持って行く一冊の云々」なることの
軽薄感を思い知らされます。
一冊の書籍をチョイスできる程度は稚戯に近い。
記憶だけで再現できるまで骨肉にしてこそ...
汗牛充棟の書庫なんて恥ずかしいことなのですよ。
今回のネタ本は
収容所のプルースト
タイトルだけで贖ってしまったが、外れではなかった(笑)
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