2018年4月10日火曜日

コンフェスるという事



何度も観ている国会の証人喚問。
真実はおろか事実すら明らかにならないことは明らかなのに、
どうして茶番劇で時間を無駄にするのだ。


引き換え、コンフェションなる告解の儀式
信者は最低年に一回、罪を犯せばその都度教会の懺悔室で、
自らの不利益となる不都合な事実を告げる義務がある。
カトリックの場合はそうだという事で、他は多少違うらしい。

どうやら性的な罪が一番多かったと言われており、
後世、一番淫靡な場所こそが教会と揶揄される所以である。
自分の不利益を積極的に告白する宗教の軛の凄まじさ。
司祭は秘匿特権と義務を負うとされるが、さあどうなんでしょうか。
今風ならば、愁訴外来みたいなものとも言えなくはないが、
そう生易しくもない。


このあたりのヒトザルの葛藤は、優れて映画的だし、
ある種の傑作が、ケンラッセルの「肉体の悪魔」
フランスの片田舎で実際に発生した悪魔憑きの事件をモチーフとします。
げに恐ろしきは宗教裁判
十字架を片手に審問官が、拷問で息も絶え絶えな司祭に...
告解をせまるのです。





他方、ヒッチコックの「私は告白する」は、
戒律を破り、告解の中身を告げる事でしか己の無実を証明出来ない司祭の
苦渋を扱います。



組織や上司の悪業は墓場まで持って行くって...美徳なり
美学の一部かもしれないが、コンフェスる方がいいと思いますよ。


オリジナルタイトルは、ずばり「告解」
イタリア語ですが、舞台は北ドイツのハイリゲンダム
沈黙する主人公の修道士は、フランスのカルトジオ修道会のメンバー
G8財務相会議の夜、IMFの専務理事が奇妙な死に方をする。
まるで、ゴルフ13だか、ゴッドファーザーのプロットに相応しい。

実に素晴らしい料理素材満載なのですが、
調理方法がいささかで、星をひとつは損をした。
強欲な金融資本主義への鉄槌のつもりはつもりだが、
意余ってチカラなんとか...は残念。

それでも、おカネを出すだけの価値はある。

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