小器用にパリとかを舞台にヒトザルのささやかな営みをスケッチする腕前は、映画監督ならば、エリックロメールにしかず。
そしていまは、セドリッククラピッシュ。
ロメールほど小理屈が多くないから助かります。
しかしなあ...
なんだね、この詩情の欠落したオリジナルタイトル!
パリとくれば、、めぐりあい....みたいな単細胞的な言語力も如何とは思うが、あまりにも湿度がなさ過ぎる。フランス語文法を披瀝するほどの学力はないが、むしろ心理学的な概念のようだと思われます。
直訳すれば「ふたつのワタシ」
アカデミックには「自我」というべきかしら
主役はアラサーの男女二人
隣り合わせの安っぽいアパートの最上階に住むが面識はない。それぞれにこころに悩みを抱えて、セラピストに毎週通っている。
安いサラリーだと思いますが、費用が大変だろうなあ....とつまらない心配をします。
セラピーがやたらと登場するのがアメリカン。
フランス人は自我が強固に確立している民族
らしくて、無縁だと思い込んでいたが、昨今はそうでもないみたい。
二重螺旋の恋人なる傑作もセラピーが重要なモチーフだった。
オトコが飼っていたネコが逃げ出し、オンナが世話して、お互いにセラピー効果で自我を取り戻したところで、猫の取り持つ縁なんて展開ではなかった。
しかし、セラピストの腕よりもアニマルセラピー効果ではないか?って気もします。
で、タイトルに戻るのですが、二つの自我って....
男女ふたり
それぞれの内面と外面の自分
どっちかな?
0 件のコメント:
コメントを投稿