2021年4月26日月曜日

報道の自由

 


いくつかの評価結果があり、今話題なのが「国境なき記者団」なるNGOのレポート。
倭国が非常にミゼラブルであり年々更になる....
しかし、別のNGOの評価だと三十くらいランクアップする。

つまり定性評価ですから評価モデルの作り方でなんとでもなる。



この手のランキングではノルディックが必ず表彰台を独占するのですが、あの地域って地上の楽土なんですかねえ。


ノルディックミステリーファンとしては結構闇深いエリアだと思いますがね。


倭国の評価の総括はこれに尽きるが、かなりなバイアスがかかっている。

国家機密のプロテクトは何処も同じだし、そもそも真剣に調査報道をやっていない、やっても紙面に掲載しないだけでしょう。


真剣に活動しているジャーナリストはいるにちがいないが、ジャーナリズム自体に真剣さが足りない。

明治のジャーナリズムは一方に御用新聞はあったものの、様々な報道規制にも関わらず(はっきり言うと言論弾圧)自由闊達にペンの力で自由民権運動を支えたではないか!



大メディアの堕落は、ふたつの「反」日新聞の挫折と屈服の結果を遠因とすると信じてやまない。


ひとつは「白虹貫日」事件

この筆禍により廃刊の危機に瀕し、政権に妥協し牙をもがれ、昭和期は戦争侵略推進協賛路線まっしぐらの紙面となった。


もうひとつは「西山(沖縄密約)事件」

機密文書入手のためにあの記者がやったことはジャーナリストとして鬼畜並みの所業(起訴状にはかなり穏便な表現だと思いますが「ひそかに情を通じ、これを利用して」なんて書かれちゃいました)だし、あまつさえ、入手経路をマスクもかけずにそのまま社会党の代議士に進呈し(つまりニュースソースを開示してしまったのよ)爆弾質問の下請をやるとは...


いずれのケースも、、、これに限らず大メディアは反省も懺悔もしたことが無い。

けだし「無謬のパルタイ」を信条とする共産主義政党と同じDNAが流れているとしか思えない。

社会の木鐸...とさすがに言わなくなったのは、恥の意識が幾ばくかは残っているからだろう。





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