2024年7月3日水曜日

百年の孤独

 


発売日は6月26日
しばらく寒村陋屋にいなかったもので、、、多分だが、6月末頃には配達されていたのだろう。
アマゾン社は、7月1日を配送指示日にしていた模様

単行本と同じく鼓直氏の翻訳だが改訳版のようだ。昔の翻訳は今となっては齟齬感を感じたりするから、、、、当時は「葡萄酒」が当たり前だが、昨今は耳にも口にもしない(^^)

世界で五千万部売れたというが、倭國では70年代はじめに刊行され、、、でも累計たった30万部

今回は社会現象的に売れる、、、かなあ?



原本の奥付をみれば

発行日 七月一日 第二刷七月五日

出版の世界のDATEとはかくもええ加減なものなのか、、、というかある種の表示違反だろう。

硬い事は言わないが初版本が欲しかった、、、かなりはやく予約注文をしたのだが


とりあえず、脚注と人物一覧のページに付箋を貼り、読み始めたが、、、サクサクと読めるのは良いとしても、60ページにして既にムニャムニャなる同じ名前の人物が三人も登場した(^^)

先が思いやられますなあ




あの黒木本店さんの「百年の孤独」にも注文が殺到してるかな。

ちなみに「失われた時を求めて」なる焼酎も黒木本店にあります。



2024年7月2日火曜日

警察ミステリーばかりが、、、

 



公開中の「朽ちないサクラ」に苦言を呈したのだが、アタシの苦言にも関わらず、、、そりゃそうだろうとおもうのだが「苦言」の真意を。


警察ミステリーの明確な定義は知らない。

司法警察職員(いわゆる警察官はその代表であり全てではない)がセンターを張り、加えて警察組織に関わる事件や事故をテーマとするフィクションだと仮置きする。


かようなジャンヌが脚光を浴びることが良いことか否かはなんとも言えない。少なくとも「不祥事」があれこれ認知取り沙汰され、ストーリーのコアになりやすくなってからだ。


刑事警察と公安警察の暗闘

裏金つくりや公金の流用

不祥事のもみ消しや冤罪つくり


枚挙のいとまなく、、、、昨今そのような事例が増えたのか、水面下での隠蔽が効かなくなったは分からない。

要するに、警察ミステリーの隆盛とは「警察組織の大部な不祥事列伝」が背景だということだ。

単純な勧善懲悪に拍手喝采するほど昨今のミステリーファンはナイーブでもない。


柚月裕子の「朽ちないサクラ」の続編が「月下のサクラ」

モチーフの一つが「多額の公金の紛失」

聞いたような話だが、2017年に広島の某署保管の特殊詐欺の証拠物件である九千万弱の金員の紛失が発覚した。

被疑者は立件前に死亡し、紛失した金員は警察幹部等が弁済したらしい、、、真実は明らかにならずか明らかにせずかは知らないが、かようなモヤモヤ感も警察ミステリーの特徴。

カタルシスな読後感が味わえない小説のどこが面白いのか(^^)


肝心の興収は、、、杉咲花作品ながら多分惨敗。

続編の企画も危ういだろうなあ、、、警察組織の闇を暴くような作品がスクリーンから消えていくのであれば、実に哀しい。

社会派映画なんて既にスクリーンから消え失せ、社会派エンタメまで消えていき、一時の慰安と享楽でしかないアニメばかりが、、、、


コリアンシネマとの格差はひろがるばかり






2024年7月1日月曜日

貫之と定家

 



巨峰は「貫之と定家」に決まっています。
子規以降のアララギ派が如何に力説し、巨峰二人に罵声を浴びせようと、、、すなわち千年に渡る王朝美學を全否定なんて天唾の所業だわ。
写生と称する骨粗鬆症的な身辺雑記みたいな短歌があと一千年生き残るとはとても思えない、、、が、八代集は確実に残る。


水準以上の和歌とは勅撰集収録の和歌を意味する。ざっと三万数千首

凡そ和歌の総数は新編国歌大観によれば45万首ですから、約一割が選ばれている(逆に言えば九割以上は捨てられた)

厳選された和歌の作者は約三千人

単純平均にはなんの意味もないが、まあそんなもんだということ。


歌人として青史に名をとどめたいって渇望は、かの薩摩守忠度が都落ちの後危険をおかし上洛、俊成に対して自選和歌集一巻を託し千載集収録を懇願し、その心映えに報いたエピソードからも実によく分かる(朝敵であるが故に名を憚り不知読人として収録されています)



つまり、勅撰集にたくさん収録された歌人が詩歌史上の最高峰ということになる。(自分で数えた訳ではないが)貫之、定家が其々四百首強(数は拮抗しますが貫之の方が金メダル)

加えて貫之歌集(後世某人により編纂)の収録数は九百首弱だし、古今和歌集の不知読人の和歌の相当数は貫之作と言われますから、推して知るべき。

一方で定家の自選和歌集の総数は三千首弱。

収録率はかなり劣りますから、、、勝負はついてます。


なお、万葉歌人である人麻呂、赤人は別格

なんせ、古今和歌集仮名序の作者である貫之が「歌聖」と称したくらいですから。

アタシも人麻呂については両手をあげて賛成します。