2024年7月1日月曜日

貫之と定家

 



巨峰は「貫之と定家」に決まっています。
子規以降のアララギ派が如何に力説し、巨峰二人に罵声を浴びせようと、、、すなわち千年に渡る王朝美學を全否定なんて天唾の所業だわ。
写生と称する骨粗鬆症的な身辺雑記みたいな短歌があと一千年生き残るとはとても思えない、、、が、八代集は確実に残る。


水準以上の和歌とは勅撰集収録の和歌を意味する。ざっと三万数千首

凡そ和歌の総数は新編国歌大観によれば45万首ですから、約一割が選ばれている(逆に言えば九割以上は捨てられた)

厳選された和歌の作者は約三千人

単純平均にはなんの意味もないが、まあそんなもんだということ。


歌人として青史に名をとどめたいって渇望は、かの薩摩守忠度が都落ちの後危険をおかし上洛、俊成に対して自選和歌集一巻を託し千載集収録を懇願し、その心映えに報いたエピソードからも実によく分かる(朝敵であるが故に名を憚り不知読人として収録されています)



つまり、勅撰集にたくさん収録された歌人が詩歌史上の最高峰ということになる。(自分で数えた訳ではないが)貫之、定家が其々四百首強(数は拮抗しますが貫之の方が金メダル)

加えて貫之歌集(後世某人により編纂)の収録数は九百首弱だし、古今和歌集の不知読人の和歌の相当数は貫之作と言われますから、推して知るべき。

一方で定家の自選和歌集の総数は三千首弱。

収録率はかなり劣りますから、、、勝負はついてます。


なお、万葉歌人である人麻呂、赤人は別格

なんせ、古今和歌集仮名序の作者である貫之が「歌聖」と称したくらいですから。

アタシも人麻呂については両手をあげて賛成します。


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