2024年7月14日日曜日

ポストファシズム

 


ファシズムとは定義の難しい言葉だ。

元来はムッソリーニの政治活動に由来するが、その後多様なファシズムが、ドイツ、スペイン、日本に出没したからだろう。

よう判らんから「グースステップ」を当たり前にやらかす国家や組織はファシスト(あるいはその同調者)だと仮置きしておく。


だから「ポストファシズム」となれば、更に意味不明になる。今の潮流的な使われ方は「新しい極右勢力あるいは思想」だと言われるが、皆んなが同じ意味で使っているかどうかは分からない。

さらに「啓蒙主義からの決別」と言われると、目から鱗や棚からボタモチ(^^)


それに、、、「啓蒙」ってポリコレだろう。

蒙を啓くってかなり上から目線です。

馬鹿に教えてやるということですから、、、


山川世界史的に説明すれば、世界や歴史を

解釈するのは宗教(キリスト教)の教義や権威ではなく、自然の摂理や合理的論理的な人間の理性である。

この啓蒙主義が近代ヨーロッパの成長と発展の先駆けとなり、今に至る、、、そんなに双手を挙げて寿ぐような素晴らしい思想かなあ?

素晴らしい思想かもしれないが、功罪半ばって気がするし、東西とも宗教の教義の影響力が駆逐された訳でもない。

未だに、近代西洋的な先進的価値観に否定的(或いは懐疑的)な勢力は、世界のGDP比こそ過半に満たないが、早晩上廻るだろうし、世界の人口比だとマジョリティと言っても過言ではない。


いまや本家本元の欧米ですら、極右(または極右的)勢力が大手を振って闊歩睥睨しているでないか!


共生とかダイバーシティって耳障りだと内心思っている向きは少なくない。

郷に入っては郷に従え(ナポリではナポリ人のようにふるまえ)とは東西普遍的な生活の処し方である。

マイノリティだから差別や迫害の対象に殊更にするものではないが「特別扱い」を要求されても困る。

多様性への配慮は否定しないが、マジョリティへの尊重も否定されても困る。

迫害を受けてきた事を考慮をしてもいいが、大目に見るつもりはない。

アメリカの連邦最高裁は「大学受験におけるアファーマティブアクションをとうとう否定」してしまった。


こんな議論は、、、ユークリッド幾何学の世界だ。

つまり平行線は永遠に交わらない(^^)

起承転結がぐちゃぐちゃになりそうになったが、ここに至り巧く下げたなあ、、、、って


しかし、19世紀にこの平行線公準への疑問から非ユークリッド幾何学が生まれたんだよなあ。「非」というからにはこの世界では平行線は交わる。

なにがどうだかアタシにはよく分からないし、どっちが正しいのかも知らない。

しかし、この問題は正誤や正否を論じる性質のものではないと、、、(何故そうかはわかりませんが)数学者は言い切ります。


自分に都合の良い屁理屈をコネ回すことに長けたアタシですから、更に巧くサゲがついたようです。




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