2024年7月10日水曜日

時の流れのように

 



百人一首収録の壬生忠岑の和歌


有明の
つれなく見えし別れより
暁ばかり 憂きものはなし



背中を向けたまま、、、口も聞いてくれず。

もう終わりかな、このカンケイ(^^)


なんて情景が目に浮かぶが、後朝の挨拶和歌の常套として、意味もなく(こころにもなく)なじったり拗ねたりするもの


良かったよ、また明日もね、、、なんて能天気だと逆につまらないオトコだとおもわれる(^^)

王朝美学にかなう恋の駆け引きなんて、そんなもの、、、なんて事は今日のお題じゃない。



夜の時間帯の時制のこと。

既に馴染みもなく、使い方に錯乱も見られるが、基本的には以下のように時の流れを表現したらしい。


暁 夜半から明け方まで(つまり夜明け前)

曙 暁の後夜明けあたり

東雲 夜が明けて東の空が白んでくる僅かな時

朝ぼらけ(朝まだき)空全体が明るくなりつつ

有明 朝がきちゃったらアリアケ


諸説さまざまで多少の異同はありますが、まあこんな感じ。


朝が来ちゃうとひと目を憚り、そそくさとご帰還ですから、ここでは「有明」

別れが辛いねえ、、、でも夜明け前からなんだか雰囲気よくなかったし、有明ころの冷たい感じからすれば、暁かた(夜明け前から)で既に憂鬱なんですよと

内心はともかく、おもてズラはこういうこと。



これに対して、新々百人一首で丸谷才一が選んだのは


夢よりもはかなきものは

夏の夜の暁がたの別れ

なりけり



リアルなデートと夢の中での邂逅のどっちが嬉しいあるいは切ない?ってままある歌材ですが、小野小町の大の得意種目です。壬生忠岑の「夢よりはかなきもの」も悪くはないが、、、、



うたた寝に恋しき人を見てしより夢てふものはたのみそめてき


思ひつつ寝ればや人の見えつらむ夢と知りせば覚めざらましを



0 件のコメント:

コメントを投稿