2024年9月30日月曜日

日本デヴュー20周年

 



ケッタイなネーミングてすが、今回のコンサートホール開場20周年ですので、掛け言葉のようです。
実際のプロデヴューがいつ何処だかは知りません。
そもそも彼女、ご幼少のみぎりに渡独し、以降は倭國とは没交渉。
ある種の凱旋デヴューみたいなのが、二〇年前だということ。

さほど知名度は有りませんし、ウィキにはプロピアニストのスタートが20年前のような書き方ですが、たぶんですが、西洋の楽壇デヴューは更に前だと思うのですが、、、

彼女の名前が知れたのは映画「蜜蜂と遠雷」のヒロインの演奏パートの吹き替えをやってから

ちなみに、本戦の演奏曲は、プロコフィエフのピアノコンチェルト三番(有名にして難曲だそうです)


今回のリサイタルは、、、

油の乗り切った世代だからか、これでもかって体力と技巧の粋みたいなプログラム。

知名度の高いショパンの即興曲とソナタが地元の二千人のホールを満員にしたようなもの。

前半のシャコンヌが客寄せ看板曲はさておき、本邦初演の現代曲やプロコフィエフの戦争ソナタでは、観客はついてけない。


でも、河村尚子さんはこれらの前半のプログラムを弾きたかったんだろう。

アタシは、後半は多少安眠。でも前半はバッチリ堪能しました。

アンコールは、、、体力ありますなあ(^^)

小品ながら四曲も!(半分は運指の体操みたいな曲でした)


2024年9月29日日曜日

末は博士か大臣か

 出世あるいは上昇意欲を揶揄するような明治の言辞だが、その当時としては国家存亡の瀬戸際であり、富国強兵の源は学力(知力)にあり、、と考えたのはしごく当然だが、、、

なけなしの財力をはたき高禄で外国人教師を雇い入れ、また西洋に留学生を送り出した。
けだし、技官や武官が「博士」、文官が「大臣」に化体されたのです。


国家の繁栄はリーダーの知力に依存し、衰退はすなわち学力低下に相関する。

ほんの一握りの天才は学歴には無縁でいい。藤井聡太君が高校中退は正しい判断だった。大谷翔平君も大学には立ち寄らなかった(スタンフォードに入学した彼の噂は?)

しかし、大多数の凡愚の衆生はそれなりの学校でシコシコ汗を流すのが一番、、、なんだが

今時の大学の多くは学府の名前に値するのかねえ?

専門学校の看板の掛け替えが横行するし、進学率は頭打ち、少子化の中で大学の新設ラッシュ。どうみても早晩大学破綻の嵐が目に浮かぶ。


言われて久しいが、、、

ロクな論文が世界に発信できないし、

研究開発費は増えないし、

人口比のドクターの数は欧米の三分の一でなんと韓国ですら欧米並みなんですから。

それに、博士号取得者がまったく増えていない国って倭國くらいだろう。


この有様って、大学の数や大学進学率で推し量るのはまったくな間違いであり、世界水準からすれば「低学歴社会」そのもの。

経済大国って、これも近日中に看板を下ろすことになるだろうなあ、、、、


.....


長々と以上は前書きであって本旨ではない。

こころは、それぞれに必要な学力や知力は何か?ということ


To be continued 

2024年9月28日土曜日

総裁選挙 ファイナル

 



議員数が368とは散々聞かされた。

一回目投票数は面倒ながら電卓を叩けば、、、


367(党員・党友は368)


二回目投票数は、これは暗算でも出来るが


362と47(都道府県数通り)


国会議員の中で一人だけ欠席か無効票を投じたみたいだ。あちこちググるに、高橋はるみ議員が病欠だったらしい。投票の重積に鑑みるに自覚が足りないが、まあ致し方ないとしよう。


ならば、決選投票での「五票」は???

可能性からすれば、、、


投票しなかった

無記名だった

別の誰かの名前を書いた


衆人環視の中の投票だから、投票はしたはずだが、、、最終結果が変わるわけではないが、気になるなあ。石破や高市の名前が書けない拠ない理由って?


注)日経の画像をお借りしました。数値の作表の際には、個々のの数字を大事にして縦横の計を入れるって教わらなかたらしい


2024年9月27日金曜日

秋◯夕暮れ、、、まとめ

 




お手軽な参考詩歌撰と言えば、王朝和歌集の精粋たる清唱千首(塚本邦雄撰)。

お手軽といっても中味は凄いんですが、新書版一冊に万葉集以来一千年の和歌の一番良質な清華が満載!

秋部二百七十首あまりの和歌のうち、「秋の夕暮」を五句目にもつ和歌をサーチすれば、、、


この手の和歌の構造は単純です。
上の句の十七文字で、ウンチャラカンチャラと情景なり叙情を語る。
そして四句目の七文字でズバリと総括し
五句目は単なる念押しで実のところ、、、まったく意味はなく「秋の夕暮れって素晴らしいよね」だと
つまり「四句目いのち」なわけでして和歌全体が、心に染み入る感情の念入りな説明



天の河原の(新古今 式子内親王)
袖ほのかなる(後土御門帝)
袖濡らしける(藤原為家)
ながめてけりな(新古今 良経)
浦の苫屋の(新古今 定家)
なほ色まさる(新古今 良経)
消えてもの思ふ(続拾遺 葉室光俊)
秋の心に(千五百番歌合 寂連)
思い消ちても(肖柏)
伏見の里の(源俊頼)
枕の下の(六百番歌合 慈圓)
尾花波寄る(金葉 源俊頼)
鹿鳴く野べの(六百番歌合 良経)

秋部の数が多いとは言え結構な数になりました。
アタシの奇説妄説(?)からすれば、四句めは秀句表現のキメ台詞であることが、名歌ということになる。


以下は極私的な好みになりますが、、、この二首


うずら鳴く 眞野の入江の 浜風に

尾花なみよる 秋の夕暮れ


おしなべて 思ひしことの かずかずに      なほ色まさる 秋の夕暮


後者は説明の必要もない名歌人にして華々しい官暦と多彩な教養。しかし謎の頓死

前者の源俊頼は、金葉和歌集の撰者。十二世紀初めの頃歌壇で活躍



2024年9月26日木曜日

秋◯夕暮れ

  




東雲のころが肌寒く秋気分にやっとなりましたから、、、

秋の夕暮れ
秋は夕暮れ


助詞一文字に過ぎない差異だが、かなりの違いがあると思うのですよ。

毎年毎月毎日に「夕暮れ」はあるんだから、、、たまたま今だから「秋の夕暮れ」なんだわさあってのが、前者の気分。

ぶっちゃけ秋でなくとも夕暮れは夕暮れ。

秋はなんちゃって「夕暮れ刻」
曙のころも、朝早くも、夜の闇も夕暮れには如かず。
と同時に秋以外の夕暮れってそれほどのものじゃないのよって独善的。
でも、秋の夕暮れの何処がいいのよ?


.... 

秋は夕暮ね。

夕日がさして、山の端にすごーく近くなったとこにさ、烏が寝るとこに帰るんで、三つ四つ、二つ三つなんか、飛んで急いでいくのさえいいのよ。ま・し・て・よね。雁なんかのつながったのがすっごく小さく見えるのは、すっごく素敵! 日が沈みきっちゃって、風の音や虫の声なんか、もう…たまんないわねッ! 

....


枕草子のあまりにも有名な一節を、稀代の才子である橋本治が桃尻娘風に超訳すればかように(^^)

そこで、無謀ながら三十一文字にすれば、、、


かりからす

飛び去る 夕陽黄昏れ闇に

松籟虫の音 夕暮れぞあき


、、、だと特異な審美眼の持ち主である「納言」は、これみよがしに自慢の知性と教養をさらけ出したの。
確かにほかの季節じゃ味わえない(^^)

万葉びとや平安人が、共通して「秋夕暮」の美意識を持った訳ではなく、言わば「清少納言が発見した」ということ
とりあえず、万葉集と八代集の字句検索を行うに、、、、万葉集はもとより古今和歌集(更にその後の後撰、拾遺にも)にはそのカケラもない。やっと後拾遺和歌集(11世紀末成立)で登場し、新古今に至り、あちこちに秋夕暮の山々

納言が宮中住み込みのキャリアウーマンだったのは10世紀末頃までですから、美の共通認識化はそれ以降なんです。

けだし、枕草子には「あきは夕暮れ」と書かれてあり「秋の夕暮れ」ではない。

だっから、、、「ナンタラカンタラ秋の夕暮れ」なる和歌は四句目が和歌としてのコアコンピタンスであり、上句はその修飾ないし説明みたいなもの。
秋の夕暮れなる和歌、、、八代集には37首(数え間違いが無ければ)ありますが、鑑賞方法や評価方法はそう言うこと。
どこにでもある秋の夕暮れなんですけどね、ナンタラカンタラなんだから「秋は夕暮れ」だと、、ひときわ身に染み入るんですー


2024年9月25日水曜日

チェンバロ

 




チェンバロ(ドイツ語・イタリア語)

ハープシコード(英語)

クラヴサン(フランス語)


同じ(あるいは同じような)鍵盤楽器なのに、ネーミングがなあ


久方ぶりにサロン的なコンサートで「チェンバロ」を聴く。

ピアノの先住民みたいな鍵盤楽器ですが、叩くか撥びく程度の違いがあり、その他表現力が格段に違う為、チェンバロは廃れ18世紀半頃にはピアノにとって代わられたようだ。

つまり、モーツァルトさんはピアノ世代かも知れないが、バッハ様はチェンバロ世代の音楽家。

かの世界史に冠たるゴルトベルク変奏曲は元来チェンバロ曲である。


バロック派と古典派の区分がなんたるかは知らないが、無知を恐れずに言えば、チェンバロとピアノが分水嶺になる、、、みたい。


今日のコンサートのコンセプトは「バッハとフランス」主役がバッハ様なら「チェンバロ」でも構わないが、当時の音楽の地政学からすれば、ドイツなんて辺境。本場はイタリアかフランス。

ドイツを音楽の王道のように記述する音楽史は中共なみの偏向歴史学にすぎない、、、とキッパリ

だって、モーツァルトさんは、イタリアなりの留学経験がないからサリエリの後塵を拝することになり、度々の就活に失敗したのですよ。

バッハ様だってドイツから出た事がないそうだから田舎楽師そのものですから、、、、



しかし、チェンバロって繊細で典雅な楽器だとおもうが、多彩な表現に乏しい。

どの曲を聴いても、最後の最後はみんな同じ曲に聴こえてくる、、、のは多分アタシがロバの耳(^^)

2024年9月24日火曜日

天譴

 





科学的合理性とは無縁であるが、中華の政治哲学の基層にあるのが「天譴説」


超訳すれば、、、

災害は、リーダーの不徳の現れであり、社会が乱れている証拠だ。その時に「革命」は起きる。

別の言い方をすれば、

徳のある者に天命が下り、統治の大責を負う。徳を失えば天命が離れ、その兆しが災厄である。

つまり「国民主権ではなく天命主権」説


せせら笑う勿れ(^^)

ヒトザルの悠久の歴史の大部分は国民主権とは無縁だし、今現在もこの地球の過半数のヒトザルは民主主義の「恩恵」に預からない。

民主主義が恩恵をもたらすものだかどうかには疑問がある。チャーチルが喝破したように「他よりマシな最悪の統治システム」に過ぎないのよ。


敢えて言うかなあ、、、能登棄民

新年早々に地震にみまわれ、復興は遅々として進まずして、今回は大雨洪水の惨禍

これを天譴と言わずしてなんという!


愚かな統治者を選んだのは我々だから、天を恨んでも致し方ない、、、といえばそれまでなんだが、、、


天に代わりて不義を討つ、、、って歌ありましたよねえ

2024年9月23日月曜日

維新

 時代のムードに迎合あるいは合致したような熟語は危険だ。

新左翼運動全盛期の彼らの用語は、難解だからか人を酔わせるが、そのうちに無内容が故に二日酔いにもならずケロリと忘れ果てる。



維新なる言葉は中華の古典(詩經とか)に由来する、、、維れ新たなり。なんとも硬質感やら悲壮感満載で気分が高揚しそうな錯覚

その語感イメージは「明治維新」に由来する

草奔崛起と言われれば、明治維新の大業を目前に斃れ伏した数多くの志士に万感の想いを馳せ、、、なんとも思考停止的な怖さがある。


明治維新がそうならば「昭和維新」も、、、と思いたいが、似て非なるものである。

1930年代に始まる右翼的国家革新運動は、堕落した既成政党を超克し、、、しかしその先の具体論はあるようなないような

明治維新だって、西洋をお手本にするだけなんだが、一応近代民主主義的な彩りがあった事が幸いした。

一方で昭和維新は「ファシズム」が目標。北一輝の「改造法案」が唯一の政策提言書。

これこそが「身を切り骨に達する」ような改革であり、発禁になったのも当然。


いまどき「維新」のかんばんを掲げて飛ぶ鳥落とす勢いだったが、、、馬脚が現れるのも早い。

思えば明治維新だって、志しの高い草莽崛起の民草は大業の成就前に斃れ、小賢しくいき残った連中たるや、、、心卑しい貪官汚吏ばかり。


2024年9月22日日曜日

まつむし

 


松虫と鈴虫

鳴き声が違うし、鳴く季節も多少異なる、、、となれば、間違いや混同はあろうはずがないのだが(^^)


根拠不確かなネット雑学に依れば

時代により呼称が変わったとも、季節により呼称を変えたとも、、、単に縁語掛け言葉技法の都合により呼称を変えただけかも知れない。

待つならば「松虫」、鳴るならば「鈴虫」


古今和歌集仮名序にも引用される著名な和歌。秋部に読み人知らずとして収録されているが、多分貫之の作品

和歌の意味は説明の必要もないのだが、、、普通に詠めば、アタシを待っているみたいな「まつむしのオンナ」を訪ねてみようってことなんだが、謡曲「松虫」では、BLが主題だと、なんともキテレツ。


ゲイやレズビアンは今に始まった事ではないし、衆道の道は、それこそ貴族や武士の嗜みだし、いくらなんでも教科書素材にならないだけ

しかし、鑑賞に耐えうる文藝かと言われれば、、、、


この謡曲の舞台は阿倍野

曲の難度からして初心者の手には余る、、、が、おもしろいともなんとも(^^)

同じようなテーマならば、雨月物語の「菊花の契り」の方がはるかにドラマティックだ。

そう言えば、友情がテーマらしい「走れメロス」は教科書にあった。

未だに内容は覚えているが、文藝のかほりからすれば、この謡曲の方が品格が高い、、、が、悪貨が良貨を駆逐するのはよくある話だ。




2024年9月21日土曜日

雷乃収声

 




暑さ寒さも御彼岸まで....


春にはぼた(牡丹)餅、秋はおはぎ(萩)
おなじようなものだが、春は粒あん丸状、秋はこし餡俵状。
甘党でなくとも美味しく感じるが、食い意地が先に立ちそこまでの蘊蓄はなかった。


秋分の日の副題ですが、二十四節気七十二候のひとつ、雷乃収声(かみなりすなわちこえをおさむ)がそのまま季語をなったということですが、これじゃ季語だけで十四文字(^^)


この頃ともなれば、夕立に先立たつ雷の声もしなくなります。
たとえとしては、、、

「ゴロゴロ」と宿題もせずに夏休み中遊び呆けていた餓鬼どもも学校に通い出し「親父のお小言」も影を潜めた...からではない、、、が洒落としては悪くない



雷の声 収まりて雁 片面(かたえ)の風


定型詩にしては破格が過ぎると非難されるかな?


2024年9月20日金曜日

外食天国

 





江戸時代は、外食天国だったらしい。
江戸後期の飲食店の数が、かの名店である八百善に始まり屋台の蕎麦屋までふくめ七千軒程度。
当時は単身赴任なお武家やら、食い詰めた裏長屋の町奴がごまんといました。
食い物屋も玉石混交ながら商売になったようだから、女日照りの江戸は相当なブスでもモテたことに似ている(^^)



いまでも、その伝統なのか石を投げれば食い物屋にあたるのが、今の東京。
数だけ言えば六万軒あまりで、人口十万人あたりで、五百軒だそうです。
いわゆる「飲み屋」は別カウントというから恐れ入る。



内藤湖南先生は「日本史は室町以降だけ学べば良い!」と喝破する。
しかし、およそ食い物に関しては、江戸以降で十分だが、比較対比的には、室町食文化のお勉強も大事と思うので・・・

さて、戦国武将の夕食を再現すれば、お皿の数だけは、毎夜たくさんです。
主菜用に三皿、あしらえなんかに小皿が三つばかり。
あとは、ご飯茶碗ですが、汁椀はなかったみたい。
主菜は日本古来の三代珍味。
梅干、鮑、水母・・・って明石散人がなんかに書いてました。
あしらえは、塩、酢、味噌の三点セット。

戦国武将の晩餐とはこんなもんです。
長屋の御家人くずれの一椀一汁一菜みたいな品さがる食い物とは一線を画する平安貴族の流れを汲む典雅な御食事なんですが、いまの舌感覚からすれば、ちょっと耐えられない。



江戸時代の随筆なんか読んでますと、この時代は「食材物革命期」だった。
  
清酒
醤油
出汁
   
これらの食材を抜きにした和食の風景って・・・ひどく違和感があります。
その意味で文化遺産たる「和食」と豪語してもその歴史はたかが200年程度に過ぎない。
まっとうなフレンチはイタリアを濫觴に16世紀に始まり、中華料理の真髄は更に歴史を遡り・・を思えば、和食を含めて三大料理と自慢するのは夜郎自大という。



食い物に対する熱心さ・・・というか執念にかけるようです。
職人のあくなく探究心なんて、その辺のやらせサイトの言い草。
生き物と名が付けば、なんでも食材にする。
いざとなれば、我が子でも・・・って、易牙を筆頭に、中華料理のコックさんはど外れているし、そこまでの情念がないと三大の名に値しないし、それをもってあくなき探求という。

2024年9月19日木曜日

秋渇く

 



仮にも「秋乾き」ならば、じっとり蒸し暑い夏も終わりからりとした蒼天の秋。
当たり前すぎる風景だから季語にはならない。


俳諧の世界では、秋渇きあるいは秋渇く


食欲の秋というか、、、食べても食べても満たされない語感があります。

つまり、渇くとは、焦燥する飢餓感をイメージさせる。


80年代のスタイリッシュなバンパイヤ映画なんか誰も覚えてはいないだろうが、

アタシとしては、色々と学ぶべき点があったのです。



さて、、、秋渇くの俳句

さしたるものは見つからなかったが、この映画のテイストに合致しそうなのは


老いも死も 男が先や 秋渇く(能村登四郎)


吸血鬼とは、紳士や貴婦人でないと様にならない。

かの映画のヒロインは数千年を生きるが、「血を分けた」後天的なパートナーは数百年で朽ちていくから、絶えず新しいパートナーを探す必要がある。

その焦燥感が、Hunger、、、、渇き


2024年9月18日水曜日

いつまでもショパン

 


先ずは、ショパンコンクールのドキュメンタリー映画。
未見だし、動画配信サイトにもありませんし、、、反田恭平君が出場の時のコンクールですが、彼は撮影に協力しなかったようだから、登場しませんので、この話題はこれまで(^^)



中山七里さんのシェアードユニバースの内の、、、彼ってかなりな乱作でして「岬洋介シリーズ」の中では一番良い作品


彼のユニバースのセンターは御子柴礼司(悪魔的な弁護士で元はサカキバラみたいな触法少年)

ならば、主戦場は刑事事件の法廷。

起訴前には警察官や法医学者がうごめき、、法廷には検察官。彼らがそれぞれのユニバースを形成するのだが、岬洋介は検察エリートの父親に反撥した司法修習生(どうも修習中退みたい)ながら天才的なピアニスト。しかし突発性難聴なる爆弾を抱えている。

その彼が、ショパンコンクールに颯爽と登場する。時しもアルカイダらしき爆弾テロがポーランドを襲うが、なんせ頑固で強情なポーランド人。テロや圧政に屈してはショパンコンクールの名折れとばかりに、、、


中山七里さんは楽器演奏は出来ないらしいから、絶対音感にも無縁だろうが楽譜解釈の凄まじさは、、、脚注でわかったが、ピアニストの仲道郁代さんの監修によるそうな。参考とした音源はアシュケナージ(ショパンコンクールでは第二位だった)の演奏。

ならば安心してyoutubeを聴きながらミステリーに浸しむ(^^)


ファイナリストとなった岬洋介の本選演奏曲は、ピアノコンチェルト一番

圧巻の第一主題から第二主題へ。そのとき発作が起き演奏は不能となる、、、、


さて、ドラマはここからだし、ミステリーの結幕も

拙いアタシの駄文では目の汚れだろうからショパンの音楽性のさまざまな解釈も含めて、興味があれば、このミステリーを読んでください。

ノクターン二番の演奏が「奇跡」を起こす感動作品



2024年9月17日火曜日

むかしむかし、、、西北

 


ネットから拝借した懐かしい写真

昭和12年頃の阪急西宮北口あたりです。

真ん中にあるのが、阪急西宮球場(阪急ブレーブスのホームタウン)

エリア全体には、のちにテニスコート、フットボールコート、ゴルフ練習場とあたかも「ボールパーク」の様相。右寄りに見えるのが阪急今津線。下には阪急神戸線が微かに、、、、


野球チームを手放した事により、エリア全体は大規模な商業施設に衣替えをし、成功した再開発事例となり、今時は、野球場があった記憶も薄らいだ。







旧跡をメモリーをとどめる微かな記憶




実は西宮球場は西宮競輪場を併設。

野球のない時はグランド内にバンクを設営。

実際のところは、入場者数は競輪の方がはるかに多く、主客転倒のありさまだった(^^)



2024年9月16日月曜日

ショパンコンクールミステリー

 


ショパンコンクールが、ピアノコンクールの最高峰である理由はよく知りません。
最古の歴史のゆえか、、、あるいはある識者曰く「ショパンの優れた演奏家はベートーヴェンやリストも弾きこなせるがその逆はない」
百年弱(5年毎に開催され、年齢条項から最大三度しかコンテスタントになれないはず)の歴史のなかで、優勝者は、ポーランドやロシア、最近はアジア系に偏する事からして、ローカル大会みたいにも思える。

ショパンコンクール優勝と言っても誰もが、刮目するような超一流になれるわけでもない。


アルゲリッチ(アルゼンチン)

ポリーニ(イタリア)、、、、くらいかなあ?


グールドやディパッティはショパンコンクールとは無縁の存在だし、ピアニストの巨人と畏怖される方々は、ショパンコンクール以前からの存在。



ともあれなにかと話題になるコンクールには違いなく、ドキュメンタリー映画が作られたり、小説の舞台になったりもします。




明日以降に続きます



2024年9月15日日曜日

敬老の日

 



多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を、、、、(敬老の日の趣旨)


まあ、結構なことなんでしょうが、単に馬齢を重ねただけってこともあります。

百歳になれば、内閣総理大臣より「銀盃」が頂けるそうですが、まだやってるのでしょうなあ

メルカリなんかにはそこそこの出品がありますから、、、


御逝去の区切りとして売り飛ばした

腹の足しになる方がマシって事でもらったら即....


かような有様が敬老の日の趣旨に相応しいとは?

かつては、永年勤続記念として


10年 木杯

20年 銀杯

30年 金杯(それ以上になると飾り台)


なんて時代もあったそうですが、今や時代錯誤感が満載。

そして、百歳超えが十万人にもなり、その九割が女性となれば、かような記念品贈呈の意義も如何かと、、、役人の発想らしく、始めた事は辞めないがその代わりに

今では老人福祉予算規模全体からすればはした金なのに「銀メッキ杯」というケチ臭さ(^^)
そんな小手先の事をやるくらいなら辞めればいい。

長寿は嘉すべきことだが、過度に福祉費用を費消したり年金財源負担を圧迫しないでくれって絶対に口には出せないホンネの部分かも


しかし、よく分からないが、

百歳になれば、銀メッキ杯がもらえるとしても一回だけなのかね。以降お誕生日の都度なにかもらえないのかしら?

受刑者あるいは前科者は「社会につくしてきた」とは言えないから銀メッキ杯をもらう資格はないはずだが、、、ざっと見た範囲だと、百歳以上の受刑者は今時点はいない(女囚比率が増加基調とは言え未だにオトコ社会ですから)

しかし刑期満了した前科者は全く分からない。


前科は死ぬまで消えない。

しかし、刑の執行の効力は刑期満了後一定の期間が経過すれば、消滅します。







2024年9月14日土曜日

ついでに、、、自転車のはなし

 



最良のエコ輸送手段だと言われるが、そういい想い出ばかりでもない。
お仕事始め(最初の勤務地)は、大阪湾の海岸近くの工場だった。
今はテーマパークに敷地の一部(半分くらいかな?)を譲渡したが、当時は結構広大だった。
工場内の移動手段は「自転車」
堅牢だけが取り柄みたいな代々引き継がれてきた「社用車」である。
別の工場勤務の同期生は、同じ社用車でも四輪を乗り回している。
我が身の不幸はここに始まったようなものだ。
しばらくは自転車には乗ろうとは思わなかった。
だから、この映画も好きではない。

自転車が抑圧解放のシンボルだと言われるのはまさにその通りだ。
戦後の頃の明るい一番の輝きの映像化としては、最高の部類だろう。
しかし、嘘っぽい(笑)
昭和30年頃の自転車の値段は一万五千円くらい。
当時の月給が一万円そこそこ。
今でもクロスバイクなら、それ位は廉価だろうが、
戦後間なしの高校生の普段使いと思えば、あり得ない光景としか見えない。
いまから思えば、戦後の自由とか平等とか民主主義って価値観もそういうフィクションだったのですってことの間接証明に違いない。


第二次世界大戦の欧州戦線の華は、戦車を主体とする電撃戦。
機動力と火力が勝敗を決める。
戦車の初登場は、第一次世界大戦のころで、騎兵将校団に馬鹿にされながらも、おずおずと登場し、なんとなく役に立ちそうな気分を与えた。
1910年代までが騎兵の時代。以降は戦車の時代である。
にもかかわらず、愛馬行進曲なんて軍歌があるところをみれば、皇軍ではまだまだ第一線で活躍していたらしい(正しくは愛馬進軍歌であり1939年のリリース)
無事戦地から帰還された近所のおっさんは・・・「馬のほうを大事にしやがって」って怒ってましたが、そりゃ当り前でしょう。


司馬さんの「坂の上の雲」では、対露西亜戦勝利の要諦は「コサック騎兵隊とバルチック艦隊」の撃破にあるとされるが、後者はともかく、満州の大地で華々しい騎馬戦があったようには描かれていない。
大量生産型の機械工業の裾野の広がりのない倭国のこと。
明治維新があと二十年遅れていれば、日露の戦いはどうなったか分かったものではない。



しかしながら、軽機械工業の分野となれば、倭人の得意分野。戦前の自転車産業は輸出の花形でもあり、東南アジア地区に手広く販売されたようである。
太平洋戦争において、機動力において圧倒的に劣位な点を補強するための「苦肉の策」が銀輪部隊。
どうも、現地で大量に自転車を接収して部隊編成を行ったようである。
マレーシア半島を銀輪を煌かせて疾走する自転車部隊って・・・・まあ絵になったのでしょうねえ。
首尾よくシンガポールを短期間で政略できたことにいささかの貢献はあったようです。
同様に、マニラ攻略でも成果を出したと言われるが、バターン半島での「捕虜虐待」の汚点により、あまり語られることはなく、
その後、自転車の活躍を聞くこともなくなった。






2024年9月13日金曜日

チリも積もれば、、、いつかは

 


買い物をすれば、オマケ(景品とかポイント)が付いてくる。

原価を構成してはずだから、そんな余計な事よりも、その分建値を下げてよ、、、と考えるのが合理的。

しかし、射倖心やらなんやら非論理的な意識も働き、ついついって(^^)


表の一部が欠けているが、民間消費支出の合計は約300兆円

その約四割がクレカ。高額なお買い物はクレジットという消費行動らしいが、アタシのように百円足らずでも平然とブラックカード、、、はどうも非常な使い方らしい。

やはり少額の普段使いはコード決済

規模は10兆円でしかないのは、、、まだまだ拡大の余地がある?

PayPayがガリバーなのは御承知の通りです。




お買い物の都度、塵みたいなポイントが付与される。最初の頃は支払に回していたが、支払をクレカにする方がポイント還元率が高くなるので、付与されたポイントは貯め込んでGAFAMで運用をお願いしている。

塵も積もればなんとやら

高級な電動アシストクロスバイクを貯めたポイントの「運用益」で買うまで、、、あの暴落無かりせば、あと少しだったのですがねえ。

スポーツバイクのテールランプが遠のいたわ😢




2024年9月12日木曜日

梅田すてんしょん

 



グレーター大阪ステーションシティのメインフレームがカタチになってきた。
ミーハーですから、、、暑いさなかにも関わらず、、、


大阪駅が出来たのは明治七年だとか。

あれから150年が過ぎて、、、初代の駅舎が出来た当時は、朱引の外の曽根崎村の字「埋め田」

人気の見物スポットだったらしく貴賤都鄙が押しかけたが、大阪驛と言っても実感がなく「梅田すてんしょん」が通り名。

それが、大阪駅を中心にOSCと呼ばれるグレーターゾーンとなった。

ざっと端から端まで4キロ四方。たっぷりと徘徊が楽しめる。

駅南の闇市跡は既に開発済みだが、駅前ビル地下二階には未だにその雰囲気が残っている。

北側には巨大な都市公園。そして、西側の中央郵便局後には巨大な商業施設も新規オープン。

東側の阪急デパートビル(昔は阪急梅田駅が省線大阪驛とほぼ直結)と、、、、かなり壮観な風景。




それなりの施設は何でもあり、逆に何処とも大差はなく没個性的

大阪らしくて一般的に無いものをもってくれば良かったのだが、、、、


美術館(所蔵物がなくてもテーマを決めて都度借り集めればいいのよ)

吉本の劇場

文楽や歌舞伎の芝居小屋



2024年9月11日水曜日

IQ

 



世間的に見ていかがわしいものは山とあるが、知能指数なるものも、そのカテゴリーに入ると思っている。
高ければ「頭が良い」。
間違いではないが、その言葉の意味づけが難しい。
知能とは「多岐多様な知的活動の特性」を言う。多岐多様と言うのが曲者で、測定方法が多岐多様を測りがたければその結果は意味をなさない。
巨大な知性の大伽藍(脳髄のこと)を隈なく測定できる方法があれば教えて欲しい(あろうはずが無いことの反語表現だ)
極めて単純に言えば、現在行われているIQ検査の結果とは、早熟度測定か母集団での偏差値かどちらかである。


天才たちのIQランキングというお遊びがあるのですが、300とか400とか馬鹿馬鹿しい数字が並んでいることはさておき「知能指数が高い=天才=人類の歴史への貢献度」を意味しないことだけは確かだ,

まずもって、音楽家が登場しない。
三歳で作曲が出来たらしいモーツァルト様が天才でないはずが無く、後世への貢献度の大きさはそんじょそこらの科学者の比ではない。
ゲーテやスタール夫人が登場しても、シェイクスピア殿のIQはどこをみても記載がない。
どっちが上かとかは言わないが、人類への貢献度はこの劇作家にしくものはない。

要するに、人文科学や社会科学的知性を測定出来るように設計されていない、置換すれば測定方法としては不完全だということだ。
ライス元国務長官は、アイビーリーグに飛び級で入学したほどの知能の持ち主ですが、彼女の公表されているIQは、たった136(六歳の頃の測定値)。再度言いますよ、たった!
外交官としての才能は、他国と不仲になることだけでしたから、まあ正しいのかも・・・・苦笑

最近の幼稚園や小学校でIQ検査をするのかどうかは知らない。
知っていることは、刑務所に収監される際にはIQ検査を必ず実施するらしいということ。
IQのレベルで収監する刑務所を決めているとも言われますが、よく分からない。
ただ確かなことは、その数値が世間水準よりも低位だと言われている。
家庭環境等就学環境にもIQ検査の結果は左右されますから、知力がないと言うよりも不幸な育ち方をしたという方が正鵠を得ている可能性が高い。
ということで、最強の治安対策は教育の充実という蝸牛庵の毎度の主張になるのです。


高度とは言い難い外国人材なくして倭國の経済は回らなくなりつつある。ガストアルバイターを入れれば治安が悪くなる。

就労ビザを与える前に「郷のしきたり」を教えて倭國の馴染みやすさを判断してから入国支度金を与えて、、、というのが一番良い。

コストはかかるが、治安コストに比べればさほどでもなかろう。


2024年9月10日火曜日

大和三山

 




大和三山のことですが、能楽では「ミツヤマ」と呼びます。

万葉集の著名な長歌。

痴情のもつれって直ぐにわかるのですが、三山のうち誰が雄だか雌だかの解釈が難しい。王朝古典では同性愛は皆無に近いので、、、

「香具山は畝傍ををし(愛おしだか?雄々しいだか?)」をどう解釈するかによる。

香具山が畝傍山を愛おしく思い耳成山と争ったならば

香具山 雄

畝傍山 雌

耳成山 雄

しかし、雄々しくて憧れたのならば

香具山 雌

畝傍山 雄

耳成山 雌


古代より「雄二匹が雌一匹を」争うのが一般的な伝承だから、後者のように解釈するのが王道だが、なんともドロドロしてみやびではない。


一方で、能「三山」では、

香久山 二股愛のオトコ

畝傍山 桜子という色好みオンナ(ツレ)

耳成山 桂子なる優なるオンナ(シテ)

オトコそのものは登場せず、ワキは約束通りの諸国一見の旅の僧

つまりは、オンナ同士の痴話喧嘩が本題であり、負けて入水した桂子の魂鎮めが主題。


復曲能であり、現代的アレンジすると共にかなりな技巧を弄した難曲。

これを12月の渋谷の舞台の演目となった次第。


まだまだ時間ありますからなんとかなる、、、正座のことですよ!、、、