出世あるいは上昇意欲を揶揄するような明治の言辞だが、その当時としては国家存亡の瀬戸際であり、富国強兵の源は学力(知力)にあり、、と考えたのはしごく当然だが、、、
なけなしの財力をはたき高禄で外国人教師を雇い入れ、また西洋に留学生を送り出した。
けだし、技官や武官が「博士」、文官が「大臣」に化体されたのです。
国家の繁栄はリーダーの知力に依存し、衰退はすなわち学力低下に相関する。
ほんの一握りの天才は学歴には無縁でいい。藤井聡太君が高校中退は正しい判断だった。大谷翔平君も大学には立ち寄らなかった(スタンフォードに入学した彼の噂は?)
しかし、大多数の凡愚の衆生はそれなりの学校でシコシコ汗を流すのが一番、、、なんだが
今時の大学の多くは学府の名前に値するのかねえ?
専門学校の看板の掛け替えが横行するし、進学率は頭打ち、少子化の中で大学の新設ラッシュ。どうみても早晩大学破綻の嵐が目に浮かぶ。
言われて久しいが、、、
ロクな論文が世界に発信できないし、
研究開発費は増えないし、
人口比のドクターの数は欧米の三分の一でなんと韓国ですら欧米並みなんですから。
それに、博士号取得者がまったく増えていない国って倭國くらいだろう。
この有様って、大学の数や大学進学率で推し量るのはまったくな間違いであり、世界水準からすれば「低学歴社会」そのもの。
経済大国って、これも近日中に看板を下ろすことになるだろうなあ、、、、
.....
長々と以上は前書きであって本旨ではない。
こころは、それぞれに必要な学力や知力は何か?ということ
To be continued
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