数ある宇治の橋姫伝説和歌のなかでも、白眉がこの定家作
毀誉褒貶の激しい達磨歌とされ。鴨長明(歌人の肩書倒れとしか思えない)の歌論書では嫉妬や羨望もあってだろうが、罵らんばかりに、、、
そんなことより、今日のお題は「ころも片敷く」と言うこと。
平安時代にも布団はあったらしいが、コットンのない時代。衣(単衣)にくるまって寝ていたらしい。
事情は前漢末期の哀帝の頃も似たようなものかな?
中華史は「外戚、宦官、キャリア官僚」の三者の我欲の覇権争いに尽きる。皇帝専制とはいいながら大半は彼らの傀儡であり、英雄豪傑の奮迅スペクタクルだけを見ていれば歴史は本質は見えない
しかしながら、倭の院政期の宮中では乱倫(乱交、不倫、男色果ては近親相姦まで)が当たり前だったが、中華史における「男色」って、、、たぶんアタシが浅学菲才なんだろう。
ゲイの皇帝に取り入ったのが、眉目秀麗な董賢
牝鶏晨し、国を傾けた例は数多あるが、男色の例はあまり聞き及ばない。
哀帝はゾッコンだったようで、昼夜問わず身辺から董賢を離さず、お昼寝もお互いの長絹を布団がわりに纏あう有様
ある時、哀帝は起きあがろうとしたが、寝入っている董賢を起こすのがしのびなく、短剣で袖を裂き、眠りを妨げなかった故事から「断袖の歓」なる成句が史書に残されている。
当然ながら、哀帝の死後、簒奪者王莽により失脚し自裁したが、、、車裂きとかで誅殺されなかったのが幸い。
補足
多分に偏見もあるのだろうが、男色、ゲイ、ホモ、衆道って、あまり美しく聞こえない。
最初から、断袖なり断袖の歓と言ってくれれば、良かったのに、、、
0 件のコメント:
コメントを投稿