2015年3月12日木曜日

目くじらた立てずに、これも美風かも



語源については衆知のごとくであるが、正確な構成要件となれば
いささか疑わしい・・・が故に「あるとかないとか」不毛の議論になる。


要するに「真剣に戦わずして相手に勝利を譲る」ことである。


まず、双方の「合意」が必要か?
一方的に「負けてあげる」って場合がある。
惻隠の情かもしれないし、相手が知らない第三者の要請もあるだろう。
この場合は「片八百長」というらしい。
しからば、「本」八百長とは「まず当事者の合意」が必要ということになる。
言わば「談合」・・・倭の古き良き風景です。
何方にせよ八百長には変わりがないので、双方合意は必須ではないとしよう。


次に八百長を行う「目的」があるはずだ。

経済的利益(個人的に何らかの対価が伴う)
憐憫ないし惻隠の情(ある意味で純粋な気持ちの現われです)
勝利に特段の意味合いがない場合(例:勝てば次のトーナメントの組み合わせが不利とか)


双方が真剣に力の限り闘うことが期待値であるって観点からすれば、すべからくよろしくない。
しかし(どうも伝説らしいが)テニスのプレー中に相手が転んだので、わざと緩いボールを返し・・
結果、彼は勝利を逃したが、後世フェアプレーを讃えられた。
一方で、ロンドン五輪でのバトミントンでは「無気力試合」ということで、
オリンピック精神違反を問われ、失格となってしまった。
ある種の片八百長である。
決勝トーナメントを優位に進めるための「作戦」が裏目に出た。

まあ糾弾されるかどうかは「見た目」次第ってことのようで論理的な世界ではない。
やはり、目的を限定的に・・・第一項に限定するほうがすっきりする。
それ以外の目的であれば、別の規範で咎める必要があればそうすればいい。
惻隠の情なんて美しい言葉で飾り立てると免責か?という批判については、
そこまで追求しないことが倭の美風である。


構成要件が明らかになっても、犯罪の成立の立証は難しい。

合意あるいは片方の意思の存在の証明
経済的利益の移転の証明
プレー態度が真剣でなかったことの証明

個々の証明と因果関係の立証が必要ですが・・・内心の問題は「自白」でしかなく
経済的利益でも金員の移動ならまだしも、勝ち負けのやりとりだと・・・
真剣か無気力かに至っては、主観でしかない。


どこまでいっても「疑惑」でしかない場合が多い。
地方競馬では、八百長がどのように仕組まれるかまでも想定して馬券を買うのが醍醐味らしい。
完全なオープン競技以外は、互助組織内の争いである。
そう思って冷ややかに眺めるのが知的ってものでしょう。




ちなみに、大相撲では(・・八百長かどうかは別にして)期待値に反する勝負の結果が多々あることは
統計的に証明されている。
シカゴ大学の教授の「有名な」論文です。
骨子を言えば(三万以上の取組結果の解析ですので統計誤差はまずない)

七勝七敗の力士群(A群)
八勝六敗の力士群(B群)の勝負結果を解析すれば・・・


A群とB群の対戦成績はA群の勝率は49%
千秋楽だけの勝敗を見ればA群の勝率は80%
翌場所の対戦成績をみれば、A群の勝率は40%
更に翌々場所は、A群の勝利は50%


この事実を論理的に説明する答えはひとつしかない。














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