一定レベルのクラスともなれば、名前を知らないといささか肩身が狭いし、
でも、最後まで読んでなくとも恥ずかしくはない・・・ってなのが
マックスウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」
このクラスでもヴェルナーゾンバルトって言われると???
別に知らなくとも恥ずかしくはない・・・実は身共も最近まで不知だった(笑)
しかし、かの万人が異議をとどめない古典的名著であっても、ちょこっとでも
資本主義の歴史なんかを調べると・・・オブジェクション!
浅学菲才の身ゆえ、理性と論理で実証的反論ができないが、その代理人を
ゾンバルト先生がやってくれる。
資本主義は、プロテスタントの発明ではない。
交換経済のあるところに資本主義はある。
大胆に言ってしまえば、マネー経済・・・単なる交換ではなく、交換手段自体が
利潤を生むシステムがマネー経済で有り、資本主義とはそう言うものだ。
従って、利子を否定あるいは嫌悪する世界から資本主義は生まれようがない。
キリスト教、イスラム教、儒教・・・多くの宗教は利子も取得を禁じ、
また、禁じないまでも下賤な行為だと非難する。
歴史的にユダヤ人の興亡と資本主義の勃興凋落はつろくする。
ユダヤ教は利子の収受を禁じない等生活規律そのものが、資本主義発展の土壌では
ないか。
大胆に言ってしまえば、ユダヤ的戒律が資本主義を発展させ、その成長に
キリスト教的倫理を適合させるように修正を加えたのがプロテスタンティズムでしょうねえ・・ってことになる。
ところで、質素倹約、禁欲節制は資本主義発展の重要な因子なのか?
贅沢とは必需以上の消費である。
イノベーションは、その現状以上の消費喚起があって始めて成り立つ。
売れるということ・・・つまり需要とは、意図的に作り出されるものである。
売りたければ、必要以上の需要を作り出す・・・これが本来の資本主義である。
ヴィトンのバッグやシャネルのスーツとは贅沢=過剰消費である。
一定以上に満足感や虚栄心が得られるし、その過剰消費が経済を支える。
西洋史とは、高級娼婦が宮廷や上流社会に進出し、女道楽と贅沢で国家財政等
消費瀑大の歴史である。
ゾンバルト先生曰く・・・・
資本主義の胎生は、非合法恋愛の合法的な子供である贅沢による。
梅岩先生が卒倒しそうな反語的喝破であるが、日本史においても、歴史の分水嶺ともいうべきが、質素統制を旨とする享保の改革を推進する吉宗と尾張徳川宗春の享楽型自由主義経済の対立。
立場が逆であれば、以降の江戸時代史は大きく変わったと思うのですが、残念なことだった。
なんちゃって、ささやかな人生でもあのバブルの時代が一番楽しかった(笑)
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