3月27日(現在の一般的な暦法)のことです。
グーグルのロゴがなんだか見知らぬ有りさまに変わっていました。
あちこち調べまくって・・・そういうことですか(得心!)
この日は古河太四郎翁の生誕の日
何が功績かって言われれば「日本手話の原型」を作り上げたということ。
何分浅学菲才の身故に、古河太四郎翁のことは存じ上げず、
当然ながら「手話」の世界も不案内。
権威ある辞典によれば・・・「言語」とは
音声や文字を用いて思想・感情・意志 等々を伝達するために用いる記号体系。
だとされる。
思えばいささか「差別」的な定義であり、身振り手振りは言語ではないということになる。
実のところ「手話」が言語として認められたのは21世紀に入ってからのことらしい。
音声言語が多種多様であるのと同様に視覚言語である「手話」も様々。
音声言語=視覚言語でもないが、
やはりこの世界でもアメリカの手話体型が国際手話としてグローバルスタンダート化しているとのこと。
狭い倭国のくせに、古河太四郎翁の尽力にもかかわらず、
倭国の聾学校では、
手話で教育する方式
口話法という「聾児に発音を教え相手の口の形を読み取らせる方式」
が並立し、論争と対立が長く続いているそうです。
倭国特有の「ガラパゴス化」は、どこの世界でもあるようですが、
意味のある論争かどうか判じかねますが、どうやら手話法に軍配が上がったように思えます・・・
倭国では、千人に三人程度の聴覚障害者がおいでになるらしい。
反面、手話通訳士なる資格を持つ方が、ざっと二千人強。
業務独占という縛りがないので、資格がなくとも「通訳」業務が出来ないわけでもないが、
オフィシャな場(法廷とか政見放送での手話伝達)では、やはりモノを言うそうです。
---お断り
以前に官房長官の記者会見時に必ず「手話通訳」がつくことにいささか懐疑的なブログを
書きましたが、一部その趣旨を取り消します。
手話言語を日本語として国家的に認知している証明だという意味でその意義を認めるとともに
情報伝達においてその必要性に鑑みても公式に手話通訳がつけられていない場に対しては
当然ながら改めるべきと思う次第です。
さらに、手話通訳が付いているにもかかわらず、官房長官のご尊顔のみをアップにして
放映する大マスコミの「見識」には痛く憤慨するものです。
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