2020年5月3日日曜日

奔馬の父娘




令和の御代になっても、流行り廃れはあるが、
三十一文字の伝統は脈々と続く。
紙新聞は読まないが、未だになんとか歌壇なるページがあるんでしょう。
正岡子規以来の写実派の本流短歌はお好みではないから、
宮中歌会始の儀についても、あまり関心がない。
撰者の名前を聞いてもピンとこないし、
召人(特に選ばれて詠進する方)だって著名だろうが
凡庸な歌人に違いない。

誰が召人を選ぶのか知らないが、
アタシ好みの歌人は選ばれなかったし、
大衆人気な、俵万智や道浦母都子も選ばれていないはず。


無聊のまま、工藤美代子さんの「昭和維新の朝」を読む。
主人公は、歌人の斎藤史
父は、山東出兵で詰め腹を切らされ待命
226に連座した歌人にしてエリート軍人
226テーマの小説や評論、史録は山と読んでますが、
斯様な視座もあったのか

言ってみれば、斎藤史は帝に弓引いた賊将の娘さんなのよ
それを平成天皇は召人としてお召しになったという歴史的な
イベントから評伝ははじまる。
著者はそれを「和解」と言う。

226の真相はよく分からない。
三島由紀夫の大好きなある種のギリシア悲劇だと言うしかない。
よかれと思った行動が事態をさらに悪化させる...
ここで、あの豊穣の海の第二部「奔馬」を思い出す。
あの小説には、歌人の将軍とその一人娘が当時します。
それが、斎藤親子がモデルでないと言うならば、
驚くべき想像力の欠如!

なんせ読んだのは大昔
細部は忘れている...拾い読みでもと
ブックオフならば、百均の棚にあるだろうと...
貫目で本を仕入れる古本屋の棚は汚れているわ。
三島由紀夫なんか数えるほどしかないのに、
アタシがまず手にしないライトノベルばかり


参考までに、召人として詠進した和歌

野の中に
すがたゆたけき一樹あり
風も月日も
枝に抱きて

口惜しいが...凛とした詠いっぷり

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