2020年5月20日水曜日

昭和史のB面(5)....最後の対抗戦




1021なんて言えば、新宿騒乱国際反戦デー...
なんて今や青史にもとどめない。
しかし、昭和18年のその日は....雨の外苑 夜霧の日比谷 





生等もとより生還を帰せず。
在学学徒諸兄、また遠からずして生等に続き出陣の上は、
屍を乗り越え乗り越え、邁往敢闘、以て大東亜戦争を完遂し、
上宸襟を安んじ奉り、皇国を富岳の寿きに置かざるべからず。
....
生等謹んで宣戦の大詔を奉戴し、益々必勝の信念に透徹し、
愈々不撓不屈の闘魂を磨礪し、強靭なる体躯を堅持して、
決戦場裡に挺身し、誓つて皇恩の万一に報ひ奉り、
必ず各位の御期待に背かざらんとす。



当時の大学生はエリートだったらしく、26歳までは徴兵猶予の
特権があったが、剥奪され戦場に送られることになった。
選抜された二万数千人の学徒を数万の在校生や女学生が、
雨の中涙で見送るという...なんともセンチメンタルな風景

空虚な観念だけが空回りする方に力が入り過ぎた文章は、学生の答辞
当然ながら赤門生。
幸いにして彼は戦死する事なく、しかし終生トラウマを克服出来なかったらしい。
後年、高名な体育学者になったそうです。

https://youtu.be/ONSgMaP-yr4

誰彼なしに戦場に送られたわけではなく、
銃後の守りに不可欠な人材という資格証明(ええ加減なものだったらしい)があれば、
赤紙がくることはなかったし、時局に盾突けば
不惑の歳を過ぎても、懲罰的に兵隊にとられた例はあまたある。
なんとも理不尽なはなしである。

文系の大学生なんかなんの役にもたたないと
国家的に決め付けられたのがこの日だということ。
そして、こんな時だけチヤホヤしてもらえると
わかったのもこの日...


まあ憤慨しても仕方がない。
ジアタマが悪いのだと諦めることだ。
役立たずの文系学徒でも、大学に残れた者がいます。
たとえば、東大の憲法学者の宮沢俊義先生
学問の系譜を守る為に、講座単位に最優秀な学徒は
残りました。
これじゃ、昭和史のA面だから、同じような話題をB面で...


この空虚な大行進の一週間前の戸塚球場
最後の「非公式」早慶戦が開催されました。
ことは、小泉信三塾長が、戦場におくられる野球部員の為
身命をかけて開催したいと
早稲田に申しで...
反骨の在野の雄は二つ返事で応えると思いきや...
あの四代目総長の馬鹿ヒラメが、軍部と文部省におもねり
事は進まない。
なんとも、信じ難いが、、、、
ブチ切れた早稲田野球部監督の飛田なにがしは、見切り発車で
戸塚球場で勝手に開催。
帝都万来の観客を集める事はかなわなかったが、
ここに、B面歴史の一ページを飾る事はできました!



この歴史を知っていたら、ほかの学校にいったんだがなあ...
因みに、試合の結果ですが、ワンサイドゲーム
銀座の女給にうつつを抜かし、いまだにその手の醜聞(多少はW田にもあるが)に
晒されるMの色魔には負けるわけにはいかない(^.^)


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