早い話が髪結床や酒肆の政治談議。
当事者でないならば、口先三寸なんでも言えますし書けます。
明治の中期までは啓蒙の意味もあって、
政治小説や文明批評評論が一世を風靡した。
しつらえとしては、江戸滑稽本...要は落語テイストに倣う。
八さんやクマさんが口から出まかせな放言を、
世間知満載の長屋の大家がたしなめ諭す。
かの漱石の「猫」も馬鹿馬鹿しいユーモア小説ではなく、
このジャンルの掉尾の一振、蝋燭の最後の輝き。
中江兆民
血の気の多い土佐人らしからぬ学研の徒なんですが、
後は、啓蒙家、民権政治家、利権ブローカー
人並み以上の才幹を無駄にしたような人生。
たまたまルソーの「社会契約論」の翻訳で
洛陽の紙価をたかめたが.....
たわいない戯れ文ではあるが「三酔人経綸問答」は
なんとも....屈曲した三人の酔っ払いの鼎談譚。
洋楽紳士は、戦後日本憲法の理念の更なる先の実現を妄想し、
豪傑快男児は(暗示的表現ですが)大陸雄飛、満蒙新天地論を
展開する。
明治の中頃の作品だが、以後半世紀の現代史の予想図である。
中庸の立場が南海先生。
名前からして中江兆民をイメージさせるが、立憲民主の漸進政体論
リベラルと右翼のバランスをとったような内容だが、
どうも、力点が洋楽紳士にあるところは、
自由民権派の最後の思いである。
しかし、諭吉もそうであったが、幻滅からくる脱亜細亜論って
何度も繰り返される歴史であるが、何度も騙されても懲りない連中もいる。
0 件のコメント:
コメントを投稿