2023年2月13日月曜日

後醍醐帝の諱

 太平記の半分くらいのところで崩御されます。大河ドラマ的にはここでおしまい。

しかし、源平騒乱もこのあと、、、さらに衣川合戦の後が如何に面白いかは鎌倉殿のナンチャラでわかったでしょう(^^)



諱は「尊治」

丸谷才一さんが書いておられましたが(本人の新発見とは思えないが、、)

曰く、、、お騒がせな主上には「尊」のお名前!


天皇家はみんながみんな「仁」を受け継いできたわけではないのだ

親や主君の名前の一字を受け継ぐ(あるいは拝領)通字や系字の慣習は廃れたし、逆に忌み嫌う向きもあるが、やはり根強いともいえます。

足利尊氏は本来は「高氏」

後醍醐帝の一字を拝領するほどの功績があったのかはよく分からない。

源氏本流は八幡太郎義家の系譜

長男の義親から頼朝へ

次男の義国から、、、長男は新田義貞へ

足利高氏は次男の家系なんだから、、、血統的には貴種ではあるが、ダントツでもないのですよ。


で、主上の諱(本名)のはなし

伝統的ながら、仁の字は清和天皇のころから始まりますが、系字として定着したのが院政期の頃

ところが後鳥羽院(諱は尊成)がなんともへそ曲がりなんだろうか、、順徳(守成)、仲恭(懐成)には系字に「仁」をつかっていません。

哀れお二人とも不幸な末路

その後は「仁」に復帰するのですが、、、後醍醐帝が、、、本当にへそ曲がりです。

実は南朝系はみなさん「尊」ではないが「仁」を忌避しています。その後は北朝系の天皇ですからご高承の通りです。


かつては避諱なる慣習があり「仁」なんぞを子供の名前につけるなんて不敬の極みと言われました。


家鋪高仁


ふつうは、やしきたかじん、、、と呼ばれていますが当時裕福だったらしい父親が然るべき方に命名を頼んだら、、、こんな不敬なことはない!と激怒し、戸籍上は「タカヒトでなくてタカジ」になっているそうです。



0 件のコメント:

コメントを投稿