兄弟なんて、、、仲が良い事も悪い事も、、、傾向的には修羅場の世界(^^)
頃は平安朝、十世紀のこと。「この世を我が世と思う」ばかりに権勢を誇示した藤原道長。思えば権謀術数で兄弟を押し退けのし上がった父兼家のおかげ。そのDNAは、、、当然継承されます。
位人臣を極めた藤原兼家には主だった息子は三人。
道隆
道綱
道兼(四日関白なんで歴史的影響力皆無だから略)
道長
道隆は清少納言が仕えた中宮定子の父親。過度の飲酒から来る糖尿病で若くして死去。息子の伊周の跡目襲名は頓挫。
次男道綱はあまり光が当たらない。むしろ「道綱母」の方が、ミス日本クラスの美人だし歌道にもたけていますが、、家系は鎌倉期に断絶。
なんだかんだで、栄誉権勢は道長の手へ、、、、
この家系は今に残りますから、たいしたものと言えばたいしたもの。
それを思えば今時の世襲政治家の家系なんかたかが知れています。
近畿チベット県は、◯◯王国らしい
二代目県議上がりで駅前の安アパートに妾を囲っていた程度(だと当時に詳しいご老人から面白おかしく聴いた記憶)がかくも国政で権勢をふるうとはけだし政治の世界は伏魔殿。
ある評論家によれば、のし上がった秘訣は「義理・人情・プレゼント」らしいが、よう分からん。
なんにしても傘寿を超えて、、、まだ邪念の妄執が吹っ切れない。後継がパッとしないから死んでも死にきれんのだろうなあ
長男俊樹
人もうらやむ名門私立卒ながら人柄が悪く(写真でしか見てないが目つきが悪るすぎるわ)親父の天領の市長選ですら敗退するていたらく。世襲の目はどうかなあ、、、
次男直哉
公開できない程度の学歴で黒い交際疑惑もあり、日の当たるところには出ないようにしているらしい(出たくとも出られない)跡目の目はまずなさそう
三男信康
鳥がいなければ蝙蝠だって多少空飛べます程度で尊敬されますから、、、客商売系の奉公人経験で頭下げることを覚えたらしく評判は良いようです。
兄貴二人がバックアップしてくれれば、お家安泰だが、道隆と道長くらいの犬猿の仲ってウワサだから、親父さんは毛利元就レベルではないらしい
お家騒動をやっている余裕がないくらいの外患もあるんだがなあ、、、
保守王国には違いないが、それでも内部抗争がないわけではないし、かようなストレッチが組織の足腰を鍛えているとも言えますが、まあ技量次第(^^)
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