2016年2月9日火曜日
実のところ似て非なるものなのです。
能の世界だと「安宅」ですが、歌舞伎に改作された際に「勧進帳」と改名
歌舞伎の外題にしては、スラスラと読める・・・
珍しくキラキラネーム風じゃないってところが、やっぱりオリジナルへのリスペクト(?)
舞台装置は同じですが、コンテンツは全く違います。
安宅は弁慶の超人的活躍の一人舞台(能は須らく一人芝居なのです)
歌舞伎ともなれば、そうはいかないので、
高倉健と鶴田浩二の二枚看板の競演というしつらえになり、
入国審査官たる富樫某の役柄が大きくなってしまった。
従って、安宅の山場は、弁慶の似非勧進帳を読み上げる部分だけですが、
歌舞伎だと二人の問答部分(山伏問答)も大きく膨らんでしまった。
読み上げる「勧進帳」の台詞はどちらもほぼ同じと思われます。
能では本邦初公開の作詞作曲はご法度ですが、
歌舞伎だと、上演のたびに役者がしばしば「作詞」を意図的に行うもんで・・
もとより勧進帳は あらばこそ
笈の中より往来の巻物一巻 取りいだし
勧進帳と 名づけつつ
高らかにこそ読み上げけれ・・・
それ つらつら
東大寺再建のために諸国に勧進の道中なんて嘘をつくから、富樫某のまえで
勧進帳を読み上げることとなったが、想定の範囲なのか、弁慶少し騒がず慌てず
歌舞伎の場合もそうなんでしょうが、巻物は白紙のまま
天も崩れよ!地も裂けよ!って朗々と且つどっしり声を出すことになっています。
まず女弟子はやらない・・・っていうのがしきたり
惟(おもん)みれば・・・
大恩教主の秋の月は
涅槃の雲に隠れ 生死長夜の 長き夢・・・・
驚かすべき 人もなし・・・・
お釈迦様が入寂しちゃったもんで、この世は末法
惰眠をむさぼる輩の目を覚まさせるような聖人もいないって、まあ冒頭の嘆き
ここに中頃
帝おわします・・・
御名をば・・・・
聖武皇帝と・・
名づけたてまつり最愛の
夫人に別れ・・・・
恋慕やみがたく
涕泣眼にあらく
涙玉を貫く
思いを・・・
善途に翻して
盧遮那仏を建立す・・・・
天下の富、天下の勢を保つ最高権力者とはいえ、女房が死んだくらいで国力を傾けてまで
大モニュメントを作るのはいささかやり過ぎ。
実際には光明皇后はピンピンしていた。
半島国の将軍様のような行状だし、現在の貨幣価値で数千億円だとか
当時の国力からすれば狂気の沙汰
政治の不安定や飢饉の頻発等社会不安の中での人心一新、目先を変える等の政治的意図というのが
本音であるが、勧進帳にそう書くわけにはいかない。
かほどの霊場の
絶えなん事を悲しみて・・・
俊乗坊重源・・・
諸国を勧進す・・
1180年に平重衡の兵火で焼け落ち、1185年に開眼法要、1195年に落慶法要。
俊乗坊重源が勧進を行ったのは事実だし、時代的にここんところはフットします。
一紙半銭の・・・
奉財の輩(ともがら)は・・・
此の世にては無比の楽に誇り 当来にては
数千蓮華の上に座せん・・
帰命頓首・・・
敬って白すと天も
ひびけと読み上げたり
どんなわずかな寄付でも、いただくものはなんでも・・・ってことで
あとは、現世も来世もハッピータイムって訴えるのです。
このあとは、あまりの大音声で、ジェリコの壁が崩れんばかりということになり、
関所の門が開き、一行は逃れ去るって展開です。
最後の弁慶が花道を六方を踏む場面ばかりが有名ですが、本当は
しらばっくれての勧進帳の朗読が名場面なんだし、歌舞伎では山伏問答。
富樫某の人物造形が全く違ってしまったってのが面白い。
オリジナルでは、弁慶の獅子奮迅の振る舞いに翻弄されるだけの役柄ですが、
歌舞伎ともなれば、義経一行と知りつつも、武士の情けっていうか内心頼朝の振る舞いに不満でもあるのか
さりげなく見逃してやりたい・・・って心情が見せ場。
忠臣蔵の日野家用人「垣見五郎兵衛」みたいなもんです。
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