2016年2月24日水曜日

さとり




キューブラー・ロスは医学者であるが、著作「死の瞬間」で一世を風靡した。
1970年台のことである。
生を語る以上に死を語ることは難しい。
孔子ですら「吾未だ生を知らず。焉んぞ死を知らんや」とのたもうた。
不遜な行為だとの轟々たる非難(主として同業者)は当然ともいえるが・・・
彼女は、多くの末期症状の患者たちの観察から死を「受け入れるまでの心の変化(段階)」を論述した。

いかなるものかは、自分で著作を読むしかない(中公文庫にあります)が、NET引用的に概説すれば・・・

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彼女が提唱した「死への心理の5段階」であるが、
すべての人が、この5段階をたどって、死を迎えるわけではない。
ある段階にとどまってしまう人。
ある段階を飛び越える人。
錯綜する人        ・・・も多い。
しかし一般に死が近づくと、無意識に死を悟るものだといわれている。
人は死を成長の機会とし、静かに尊厳なる死を迎えるための心構えが必要である。

ロス博士は次のように希望している。
尊厳なる死とは、その人らしく死ぬということであり、
我々の周辺の人間の鋳型にはめこまないことである。

彼女が『死ぬ瞬間』でインタビューした多くの人は「平和と尊厳」のうちに死んだという。

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相当に厳粛なテーマなのだが・・・
視座を変えれば、あらゆる局面での「心の葛藤」の写し絵であり「死」に限ったことではない。
たとえば、こんな風にも・・・つまり「上司との関係五段階説」


まず「否定」

〇〇さんの下で働くなんて想定の範囲外でした。
なんせあの「悪口または罵詈時々雑言」ですからねえ。
前の会社では、退職者や病院送りが枚挙にいまとなくって噂だし・・
ショックのあまり、内示の日は早退しました。
予期しない衝撃的なニュースをきかされたとき、まともに受けないために、
まず「否認」がおこるってことってこういうことです・・・(三十代男性)

次に「怒り」

辞令って現実を直面すると、怒りや恨みが取って代わるんですよね。
八つ当りしちゃったもんで、みんなさけて遊んでくれないんですよ。
あんときは相当に友達失なくしちゃったんだもんねえ。
だってえ「だからアンナなんか〇〇さんの部下に飛ばされたのよ・・」って
いわれちゃいますとねえ・・・(二十代女性)


そして「取引」

まあボクって「使いにくい部下ランキングの上位」でしたからねえ。
これ幸いと元の上司脅して、異動の承諾の代わりに
ボーナスの査定ちょっとなめさせたんですよ。
まあ、上司なんて、平均すれば2年程度の付き合いですから、一般論で言えば
しばらくの辛抱ですよ・・・と達観した感じ・・・(四十歳前男性)


さらに「抑鬱」

最初の面接ってちょっとアタシ言葉過ぎたんですかねえ。
新参者が「アタシがセンターって」やっぱりまずかったです
ボスの視線が厳しくて・・しばらくは針のむしろみたいでえ・・
落ち込むし、衰弱進行で、無力感が深刻となっちゃいましてねえ
アタシって派遣だから、即時解雇されても文句言えないんですよ。
これって、会社との「別れを覚悟するため、他人から癒されることのない
絶対的な悲しみを経験」ってことなんですねえ・・・と感心風に・・・(二十代後半派遣女性)


最後は「受容」

みんな何言ってんですかあ!
毎度毎度これ以上な幸せがないって顔して、すき放題やってお給金もらってる癖に
・・・仕事と遊びの両立って稀有なことなのよ
つまりは「長い心の葛藤の旅の末の最後の休息」ってもんでしょう。
そうか・・
この静かな境地を「デカセクシス」って言うんだあ・・・と
瞳をうるませるかのような・・・(年齢不詳な女性)









死をこの様に諦観のうちに許容するのかどうか知りませんが、
俸給生活者世界は、こんなものでしょう。
受け入れるしか道はなく・・・まあ嫌なら「職業選択の自由」ってことですよ(笑)
















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