2016年2月22日月曜日

クラシックギリシア

全体の3分の1しか刊行されてませんので、全体像を論じるには無理があるが、
クラッシクギリシアの政治制度なりがメインですので、センターをはる人物は

第一巻:テミストクレス
第二巻:ペリクレス(しかないでしょう)
第三巻:アレキサンダー大王(・・・を外すわけには・・・・)

と想像しています。
彼女は「危険な著述家」です。
初めて遭遇したのは学生時代、神の代理人だか、ルネッサンスの女
優れて論理的で理性的で冷徹な文体からして、ずっと男性だと思ってました。


彼女はいわゆる「民主主義」なんかを信じていない。
国家存亡の危機に対処する一番有効な政体が一番だと思っているに違いない。
だから多くの作品の中で戦史物が一番イキイキしている(苦笑)

ホームで戦うとはいえ、戦力的に圧倒的に不利にもかかわらず、圧勝できた理由を
克明にたどるという作業からクラッシクギリシアのデモクラシーを再構成する。

量に対して質で対抗するとは耳障りが良いが、その要諦は個々の質の総合的な「活用」にあると喝破する。
なるほどねえ・・・一人ひとりはドラゴンでも、束になれば豚になる民族は所詮そういうもんか(笑)

言い古されてきたが、平和のためには戦争を学ぶ必要がある。
戦争を通じて、勝敗をも含めてであるが、ヒトザルは、学ぶことができるし、それは歴史上明らかである。
下関攘夷戦争や薩英戦争で、倒幕派は多くを学んだ。
クラッシクギリシアだって、ペルシア帝国との戦いで多くのことを学び、
少なくとも百年の平和を享受できた。
しかし、たった百年・・・・・どっちかといえば、どうやって学んだのかはいささか食傷している。
何故学習効果が衰退し、再構築出来なかったのほうが遥かに面白い。

歴史とは「興亡」の繰り返しである。
興の部分は、躍動的で面白いものの、教訓的ではない。
亡こそ歴史の真髄。
女史の言葉だと、賢さと愚かさということになります。



かかるがゆえに、かの歴史家ギボンは「興亡史」ではなく、ローマ帝国「衰亡史」を書いたのです。

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