2016年2月16日火曜日
あの素晴らしい○○をもう一度
なにかと中国の悪口めいた情報に接すると、これみよがしに記事にする紙新聞がありますが、
不都合な事実を伝えてくれて「アリガトウ」という部分と、
事実の掘り下げが甘いなあ・・・と毀誉褒貶相半ばする。
漢字なるもの(定義を言い出すと難しいのですが)は、
康煕字典なり諸橋大漢和に掲載されている表意文字だと思っています。
ざっと五万字
従って、峠や裃のように倭国で作られた漢字は「国字」というのが正しい。
テツは「鐵」と欠くのが正しく、鉄は「略字」である。
もっとも「鐡」なんてな漢字もあり、これは漢字のうちの「俗字」だと諸橋先生は断じる。
現在の中国は、三千字弱の「簡体字」をもって公式の文字とする。
実際上、倭国でも普通はその程度あればまず困らない
愚昧な民衆には「漢字」は難しいから単純化してあげようとする上から目線な政策。
共産党の軛の中で、浸透はしちゃってはいるものの、漢字文化圏の一部からは
批判(揶揄)の山・・・というのが記事の大意である。
言ってみれば、教養のない女子供のための「かな文字」みたいなものである。
ハングルだって、氏素性は似ている。
世界に冠たる文字体系と自慢するのは夜郎自大でしかない。
文化に優劣はないので、揶揄する側に組みしないが、
かの大国でも知識人なり上層部は、ちゃんと「漢字」を使いこなしている。
署名にはちゃんと漢字を使っているのが、その証拠。
でないと、漢文や唐詩は読めないし、読めないと知力がないと思われる。
ハングルだけを徹底的に教えこんだお国の若者は、教養のルーツが読めなくて困っているそうではないか(笑)
グローバルな時代だから、横文字だけができれば良いということではない。
否応なしに隣国とお付き合いをする以上、彼らの思考の原点である漢籍の知識なり思想は
知力の不可欠な重要な部分なのです。
しかし、思うに明治の倭人はその辺をうまくこなしてきた。
江戸時代を通じての民衆レベルの識字能力の高さはあるものの、自在に漢字を読みこなせるわけではない。
そこで誰が考えたか・・・・
ルビ
この素晴らしい仕組みは半島国でも用いられていたが(実のところ韓国起源かも知れないが)
今は・・・よく知りませんが、元の漢字を追放しちゃうということですから・・・なんともねえ
最近はあまり見かけなくなりましたし、総ルビはいささか煩わしい。
しかし、常用漢字制度のなかで、語義を正しく表現できない、書き換える・・・
ひいては思考の反知性化の危険を思えば、復権があってもいいし、そうすべきだって思いが募る。
お馬鹿な「交ぜ書き」で、美しくない日本語にふれさせられる子供たちが可哀想である。
隣国の「簡体字」を揶揄する前に、言語を武器とするメデアがなすべきこととは
こういうことである。
ジョージ・オーウェルの「1984年」には、ニュースピークという言語体系が登場する。
その言葉を使用禁止あるいは抹殺すれば、その概念すら死滅するし、思いをはせることができなくなる・・・
この世界政府は、次々と「言葉狩り」を行う。
自由
平等
民主主義 ・・・・
フランクパブロフの「茶色の朝」では・・・
すべからく「茶色」でなければならない世界が登場し、それ以外の「色」がすべて狩られてしなう。
フランス人にとって(西洋人にとってかも?)茶色(褐色のことらしい)とは、
忌まわしいあの時代の色である。
この手の話題は、テーマとして尽きることはない(苦笑)
近日中には「キラネ」テーマでまた書きます。
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