2016年2月10日水曜日
食べて祈って、、、恋はしなかった。
とあるカトリック教会のウェブサイト掲載の祈りをお借りしてきました。
不信心な天邪鬼には、三度三度の神への感謝なんか、とてもとても務まりません。
しかし、似非真言宗徒の端くれだから、食事の際に手を合わせる程度の事は今だにします。
いただきます
ごちそうさま
口にはださねども、、、言わで思ふぞ 言ふにまされる って事です。
比較文化論なんかやるつもりはないし、優劣を論じもしませんが、
ヒトザルが生きていく際に大事なエレメントに対する感覚の違いからして、
やっぱり倭国に天主教が宗教として根付くのは厳しいと思います。
なんだかんだと小理屈はあるが、倭人の心情風景は、
山川草木悉皆仏性
生きとし生けるものには須らく仏様が宿っておられる。
三度三度、仏の生命を頂戴させていただきますと感謝し、
その生命を卓上に並べるためにあちこち駈けずりまわってくれたみなさんにも感謝します。
長々と語らず、ビフォーアフターでそれぞれ一言。
食を与えてくれた神には感謝しますが、喰われるべきものへの畏怖はないと普通の倭人はかんがえなかった。
誤解を恐れずに言えば、過度のベジタリアンのロジックは偽善である。
生命に軽重があり、食ってはいけない命、喰われるべき命に分別して構わない。
ここから人種優劣論まであと僅かの距離しかない。
さて、宗教心が希薄化し、どの程度やり方はともかくも食への感謝が行われているかは知らないが、、
聞いたモンペの行状。
学校給食の際の「いただきます」に因縁をつけたらしい。
曰く、
給食費ちゃんとはろとうやろ
なにして、おまはんらに、礼いわなならんね のう
別に広島であったわけじゃないが(笑)
学校がどう対応したかは、しりません。
こんな親なら、シーシェパード支援者のほうがまだマシだし、そのうち、子供をいびり殺すだろうよ。
【食前の祈】
父よ、あなたのいつくしみに感謝してこの食事をいただきます。
ここに用意されたものを祝福し、わたしたちの心と体を支える糧としてください。
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。
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