2018年7月19日木曜日

刺青奇偶



毎度予定稿を作り、アップ前日に誤植チェックなんかをやるのですが...

奇遇
奇偶

は明らかに違います(紛らわしいがよくぞ気がついた!)
前者は「たまたま(偶然)の出会い」のことですが、
後者は「きぐう」ではなく「ちょうはん」とよむ。
いささかおかしいのですが、慣用だから致し方ない。

奇数=半(奇数は半端)
偶数=丁(偶数は丁度)

昔からどっちが丁だが半だかよく間違えたが、こう覚えると良いらしい。
多分に、奇遇との掛詞だろうが、外題としての出来は悪い。


勘三郎
玉三郎
仁左衛門

と役者は豪華だが、歌舞伎演目にしては、お手軽感
新作歌舞伎ではないし、古典とも言い難い。
新派か新国劇だなあ...って、けだし、原作は長谷川伸。
馬鹿にしているわけではなくて、倭風涙腺刺激性演目が
苦手なんです。
ストーリーもわかっているくせに、毎度同じところで泣く(^^)


貨幣経済にギャンブルは付き物ですが、
江戸時代は、丁半、花札、富籤(宝くじ)とギャンブルの揃い踏み
どうも、ギャンブル依存症もこのころからあったようだ。

ヤクザの勘三郎は、身投げした玉三郎を助けた縁で
足を洗ったものの、博奕の縁だけは切れない。
赤貧洗うが如き暮らし向きは玉三郎を不治の病へ
明日のない女房のため、最後の大勝負と
仁左衛門の賭場に乗り込むが...


まるで、番場の忠太郎か駒形茂兵衛(^^)
外連味たっぷりな様式美を超越した舞台形式を
目指したのが新国劇だが、いまや胡散霧消。
歌舞伎=旧国劇にとりこまれて今に至るということ。
大衆演劇の伝統なるブラックホールはなんでも呑み込み、
自家籠中のものとする。

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