2018年7月15日日曜日

「難民」映画祭



国連難民高等弁務官事務所は、毎年難民映画祭を催し、
難民問題の啓発に勤めています。
確か無料上映のはずです。
世界的には一億人とも言われる難民が存在すると
言われるが、支援資金不足に悩まされており、寄付金集めの一助でもあり、
会場のあちこちにカンパ箱が....
茶化すつもりはないが、時価のピンサロよりも正札のソープの方が
明解でわかりやすいと思うが....考え方次第。


商業的な催しではないので、慰安や娯楽を期待する向きは
足を運ぶわけがない。
しかし、その辺りを上手く折り合いをつけた
商業的な映像作家の手になる作品はポツポツと上映はされます。
大抵は、欧州の映画祭の受賞作という触れ込み
場所的に他人事ではないし、悩ましい日常問題だから
直視せざるを得ない....ということ。


素材の調理方法は多岐多様に見えて、実のところステロタイプ化している。
単純な因数分解をすれば、

善意以外何者でもない難民救済支援者
ゼノフォビアに凝り固まった難民追放派
両者の葛藤あるいは衝突
結末は、商業映画には悲惨な結末はむかないが、
手放しなハッピーエンドはあまりに現実から遊離という自覚はあるから、
まあ...ブレてますというか苦渋感満載。


場末の弐番館では難民テーマ二本立て。
フィンランドとドイツの作品。
前者は世界的には著名なフィンランド人監督
ぎこちない映像表現のどこがウケるのかは知りません。
主人公はシリア人難民。
はぐれた妹探してはるばる...という設定。
暗いハッピーエンドですが、邦題は「希望のかなた」
オリジナルタイトルは、グーグル翻訳だと

私はそれを超えて願う


一方で後者はアイロニカル
ボコハラムに一家皆殺しにあったナイジェリア人。
彼をホームステイさせたハウトマン一家は、
偽善だけで家族が結びついているブルジョワジー
予期しない闖入者により、家族は崩壊し...コメディですから
再生という明るくハッピーエンド。
優れて寓意的
人類普遍の価値観だと豪語していたものが揺らぐドイツが舞台というのがキモ
EUに明るい明日が本当に来るかなあ?

まあ、一時の慰安と享楽ですから、
考え込む事もないのですがね.....

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