2018年7月1日日曜日

本当は恐ろしい三十一文字



家元制度の頸城とは恐ろしいもので、奥義や秘儀は
和歌の心に化体される。
詩歌が生活の一部だからなんだろうが、今となっては
いささか勿体ぶった...としか思えない。


蝸牛の習い事には譜面台(見台)が不可欠
台の左右に文様がありまして、

左が八分の月
右が瓢箪

になるようにセットするのが正しい。
逆にしようものなら破門されても文句は言えない。
其処にはある奥義がある...とされます。

宗家9代目の辞世の句

わが宿は 
菊を籬(まかぎ)に露敷きて 
月にうたふる瓢箪の声

謡を謡うときには「瓢箪のようにお腹を膨らませ、
口を締めて八分目に謡え」という教えが込められているとの事
凡俗の弟子としては「なるほど!」と感じ入るだけ。


先程まで、茶本をパラパラと拾い読みしていましたが、
ふと気になり...
なんだい!南方録って偽書なんだって。
真剣に読む気がなくなった。
それらしく、茶道の真髄なんて難解だなあと
思いつつも、内心はもったいのつけすぎだよ。

見渡せば
花も紅葉もなかりける
浦の苫屋の 秋の夕暮れ

武野紹鴎いうところの茶の真髄だって。
侘び茶のこころと言われればそういう気もするが、
この歌って元来シュールなのよ。

季節は秋なんだから、花は桜のはずがない。
秋の七草と理解するのが常識的なのだが、そんな解釈をする
解説書は皆無だ。
秋に桜はないのが当たり前...
ではなくて、実は秋桜(コスモス)のこと
室町期にコスモスがあったのだ!
きっと南蛮人が伝えたのですよ。
しかし、この和歌は定家の大傑作だとされます。
しからば、日宋貿易に由来するはずだ。
熱帯アメリカから、後のルートは分からんが、中国伝来
通説では、明治の頃に輸入されたとされるが、
そもそも通説なんてあてにはならない(^-^)



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