2018年7月8日日曜日

双脚羊は美味らしい



ヒトザルは最後のお食事に何を食べる(食べたがる)のか?
死刑囚の最後の晩餐を見ても、その形而下学性に唖然とする。
こげなつまらないものを人生の最後に所望するとはなあ...
食い物で人格がわかるとは、確かに分かります。

馴染みの食べ物
懐かしい母親なり故郷の味
いわゆる手の出ない高級珍味
禁忌に触れる食材

思い浮かべるにこんなものだろうが、問題は最後。
容易に想像できるのはアレだろうが、果たして美味なのか?
斯様なものを食するのは禁忌であるとされるが...
つまり歴史的には常習的にヒトザルは喰っていた。
ある種の儀式性があったとも言われるが、よくわかりません。


二本足の羊さん嗜食テーマの藝術はあまたあります。
絶望的飢餓なんて有り気な背景であり、さして哲学的なテーマでもない。
しかし、実際に生じれば、三面記事話題になるだろうが、
カルネアデスの舟板理論の通り法律上の問題ではない。


格好の史実があります。
斉の桓公は五覇の一人に数えられる英雄でしたが、
グルメでもあったようです。
連日連夜の美食に飽きが来た桓公に、お抱えシェフの易牙が
とっておきの一品!

後世、この料理人は宰相にまで登りつめました。
後世の儒学者や史家はボロクソに難じますが、
一体何を非難したのでしょうか?

反倫理的な食材を堪能した桓公は非難されてません。
反倫理的な食材を提供したシェフは非難の的ですが、
非難の一点はその食材の出自のことだけで、
食材そのものは非難の対象ではない。

水滸伝にも、二本足マトン饅頭を提供する場面がありますから、
グルメな王侯貴族だけのものでもなかったようです。
何れにせよ日常性は見えても宗教・儀式性は全く見えません。
以外にも、調理のやり方とか部位の良し悪しとか
悍ましげな解説書があまたあるらしいが、
幸いにして目にしたことがない。
こうなれば、人類普遍の原理かどうかも疑わしくなる。

ここにおいても価値観の衝突は見られるのです。

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