2018年7月21日土曜日
絶対音感とダイタイ音感
今でもこの手の話になると..思い出すのは義務教育時代の忌まわしい音楽の授業
人跡稀な寒村の音楽教師なんて、音大は出たのだろうが、
成績のレベルは想像がつく。
名曲鑑賞と称して、ハイドンの94番の第一楽章
あんまり「びっくり」せんかったなあ
昔の人やとびっくりしたんやろ
とんでもない錯覚に誰も異論を唱えず納得って更に怖い風景。
今ならば、
第二楽章冒頭の緩静部から一転しての大和音に「驚愕」って
腐女幼童でも知ってます!と毒づくところ(^^)
絶対音感なるもの、才能か努力か?
いまでは結論は出たのだろうか。
感覚的に言えば、甲論乙駁の議論とは、どっちも正しいか
間違っているのかのどちらかだ。
最近は多少熱が冷めたのか...倭国の幼児音楽教育の熱狂さ。
IQも高くなるって言われれば、教室に行列が出来て
ネコも杓子も絶対音感教育
オムツの頃から始めれば、大抵は身につく....らしい。
そしてどうなるといえば、音大受験には圧倒的なアドバンテージだが、
それからは....人生って色々。
才能は多分なかっただろうし、努力は嫌いだし、
音楽のレッスンは、付け台の前での音符を肴に与太話
まあ、身につくのはダイタイ音感くらいだ。
しかし、身についたらしい絶対音感なるものは、本当の絶対音感だろうか?
街中で耳にする雑音ですら、
これは、Cのシャープ
あれは、ドミソの和音
少し音がズレて気持ち悪いわあ...
一般的には、基準音は、A440とされる。
摂氏20度の440Hzが、Aの音だということ
しかし、一世紀くらい前の基準であり、昨今は、多少ピッチが高め。
BPOだとA445だそうな。
しかし、アマデウスは、A422くらいの基準音で作曲をやっていたらしい。
つまり、ドイツで演奏されるモーツァルトさまは、
半音程度、作曲家の意図に反している!
絶対とは言いながら、相対である。
千住真理子さんが、言ってます。
オーケストラと合わす時と無伴奏では、ピッチを変える。
弦楽器だから出来ることではあるが、
協奏曲を弾く際には、オーケストラの基準音よりも高めに
弾くと華やかに音が映える。
実のところ、斯様に音階を自由自在にコントロールしちゃうと
絶対音感とバッティングして気持ち悪くなるんじゃないのか?
キモくなるのは、その程度の音感だということか?
所詮は、ダイタイ音感の世界だと理解できないってことだ。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿