西暦...じやなくて、キリスト歴ならば百年毎に巡ってくる
当たり前の事象。
殊更に何かがあるわけでもないが「世紀末」と言うだけで
なんだか、甘美な不安感や陶酔を感じてしまう。
と言っても、有史来特に記憶に残るのが、19世紀末
政治的経済的な停滞感や混乱、逃避が藝術の分野に徒花を咲かせる
健康や明朗には縁遠い頽廃官能倒錯の世界
そもそも藝術ってそんなこんなな要素で成り立っている。
かつてヒトラーは退廃芸術展と健康芸術展を同時に開催したが、
客の入りは圧倒的に前者(^.^)
だから、アマデウスはつまらない。
お母さんと一緒学派と...アタシは揶揄する
しかし晩年のト短調のシンフォニーやレクイエムのもつ深度の暗さの
おかげで歴史に残るのだ。
ともあれ、19世紀末は、パリの象徴詩とウィーンの絵画に
トドメを刺す。
クリムト、つまりは実生活も含めてのエロス画家。
エゴンシーレ、その弟子で、過激なポルノ画家
かなり病理的。
この時代のウィーンにフロイトが存在したことは偶然ではない。
同じく、世紀末ウィーン音楽とは軽快なワルツやポルカだけではない。
ブラームス
ブルックナー
マーラー
こそが世紀末ウィーン学派(後期ロマン派よりもこの表現がいい)
この時代・文化への深い思索に感じ入ります。
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