2019年8月2日金曜日

自虐史観や荒唐無稽自己中史観を乗り越えて



リンク映像の歴史観も相当に歪んで見えますが、さておき
冷静で科学的な韓国通史をさがしていますが、
触れば手が穢れ、見れば目が汚れかねないような偏向史観本ばかり。
歴史学は社会科学分野のひとつであり、
科学と銘打つ以上は、一定の領域を客観的な方法で系統的に研究する活動の筈だが、
実態は政治的なプロパガンダ。
逆に手の内が読めれば、アホたらしいものでも真理か読めてくる。
そんな手法を駆使しての蝸牛庵的な韓国通史ダイジェスト
結構まじめに調べましたから、連載にするかな。


コリアの建国は、紀元前2333年10月3日。
天帝の孫、檀君が始祖。
神の子ですから衰えず、死なず...長く長く統治しましたが、
殷国を滅ぼした周の武王の命により殷の遺民が移住し、
箕子朝鮮を建国。
檀君は、深山幽谷に隠居したそうです...
まるで、国譲りの出雲神話のコリア版

倭国は建国の千年ののちに編纂された古事記が原典ですが、
コリアは三国史記とか三国遺事。
三千年以上のちの文献だし、高句麗、新羅、百済以前の
古朝鮮のエピソードは貧弱。
参考文献とやらは存在しないし、史実として教えるには
あんまりだし神話としても出来が悪い。

かなり中国に気を遣っていますから、冊封体制の頸城が
感じ取れます。
建国の時期も堯の即位年のあと...だそうですよ。
その後は漢の成立の際に燕(今の北京あたり)の衛一族が
コリアに亡命、その後箕子朝鮮を簒奪し、衛氏朝鮮を建国。
当初は漢帝国と友好的だったが、国力が高まると増長し、
漢皇帝の怒りを買い滅ぼされ、四郡設置の直接支配されるに至る。
四郡って、楽浪郡、帯方郡くらいは知ってますよねえ。
この辺りからは山川日本史にも登場しますから、
コリアの歴史時代の始まり。


要するに古朝鮮史って中国史の一部であり、
自立自存の歴史が誇りらしいが、数限りない侵略と
国家滅亡も度々の常態的事象。
秀吉侵攻と日韓併合だけが驚天動地の歴史イベントのように
言挙げするのは不正確だし印象操作でしかない。
創氏改名とか徴用なんかも亡国の民の当然の義務ですから、
何度も憂き目を見ています。

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