2019年8月6日火曜日

何十年ぶりに社説を読んだ!


某紙の今日の社説全文(改行等は適宜いれてます)
表現の自由なり報道の自由は有り難いですねえ

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人々が意見をぶつけ合い、社会をより良いものにしていく。
その営みを根底で支える「表現の自由」が大きく傷つけられた。
深刻な事態である。

国際芸術祭あいちトリエンナーレ2019の企画展「表現の不自由展・その後」が、開幕直後に中止に追い込まれた。
過去に公的施設などで展示が許されなかった作品を集め、表現行為について考えを深めようという展示だった。
芸術祭として個々の作品への賛意を示すものではなかったが、慰安婦に着想を得た少女像や、昭和天皇を含む肖像群が燃える映像に抗議が殺到した。


放火の予告まであったという。もはや犯罪だ。
警察は問題の重大さを認識し、捜査を尽くさねばならない。

気に入らない言論や作品に対し、表現者にとどまらず周囲にまで攻撃の矛先を向け、封殺しようとする動きが近年相次ぐ。
今回はさらに、政治家による露骨な介入が加わった。
芸術祭実行委の会長代行を務める河村たかし名古屋市長が、「日本国民の心を踏みにじる」などと展示の中止を求め、関係者に謝罪を迫ったのだ。
市長が独自の考えに基づいて作品の是非を判断し、圧力を加える。
それは権力の乱用に他ならない。憲法が表現の自由を保障している趣旨を理解しない行いで、到底正当化できない。

菅官房長官や柴山昌彦文部科学相も、芸術祭への助成の見直しを示唆する発言をした。
共通するのは「公的施設を使い、公金を受け取るのであれば、行政の意に沿わぬ表現をするべきではない」という発想である。
明らかな間違いだ。
税金は今の政治や社会のあり方に疑問を抱いている人も納める。
そうした層も含む様々なニーズをくみ取り、社会の土台を整備・運営するために使われるものだ。

まして問題とされたのは、多数決で当否を論じることのできない表現活動である。
行政には、選任した芸術監督の裁量に判断を委ね、多様性を保障することに最大限の配慮をすることが求められる。
その逆をゆく市長らの言動は、萎縮を招き、社会の活力を失わせるだけだ。

主催者側にも顧みるべき点があるだろう。予想される抗議活動への備えは十分だったか。中止に至るまでの経緯や関係者への説明に不備はなかったか。丁寧に検証して、今後への教訓とすることが欠かせない。

一連の事態は、社会がまさに「不自由」で息苦しい状態になってきていることを、目に見える形で突きつけた。
病理に向き合い、表現の自由を抑圧するような動きには異を唱え続ける。
そうすることで同様の事態を繰り返させない力としたい。

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基本的に紙新聞は読まないし、とりわけこの新聞は....
手にとれば汚れるし、読めばメバチコが出来そう。
この新聞社の黒歴史とは...色々あるがまずもって戦犯協力者なんですよ。
それがヌケヌケと...

賛同するのは、テロ予告を許さない、警察は徹底的に捜査せよ
だけだな。
確かに「深刻な事態」だとは思いますよ。
しかし、表現の自由が抑圧されてませんし、なんなら新聞社主催で
この表現の不自由展を再度開催すればいいじゃないですか
共催に協力しそうな新聞社もありそう。
私的な施設を使い、助成も受けず...

脅迫やテロ予告もあるだろうが、屈しては表現の自由は守れない。
口先だけで異を唱えることだけでで勝ち取った権利じゃないのよ
傷ついたり下獄したりした先人は、カラダを張ったのです。

社会が不自由になってきたの?
自身のアイデンティティが傷つけられた大衆の怒りの表現を「病理的」と
切り捨てるって凄くありませんか(^.^)
普通は上から目線といいます。

反日的な展示へのプロテクトに過剰に反応するのならば、
反・反日的あるいは愛国的展示にも同じように反応...しないから
ペンゴロだと思われ尊敬されない。
まあ、カラダを張って表現の自由とやらを守ろうとはしないでしょう
だって、守るほどの価値ある展示じゃないから。

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