表意文字の真髄...見た目からしていやらしそうで羞恥心すら覚えるが、、、
司法概念としての猥褻の定義は、チャタレイ裁判での最高裁判決により明示されたって、大きな誤解!
これに先立つ「サンデー娯楽」事件で明示されましたが、この事件はカストリ雑誌らしき同誌に掲載された
好色話の泉
其の夜我慾情す
変態女の秘戲
処女の門、十七の扉ひらかる........
なる記事が猥褻文書だとされたもの。
読まずとも、ワイセツって印象をもちます。
したがってチャタレイ事件での争点は「藝術性は猥褻を超克するか否か」なんですが、最高裁は苦し紛れな公共の福祉論を理由に否定するに至った。
そして悪徳の栄え事件。
サドの形而上学的な観念小説であり、貴婦人と森番との痴情ばなしとは同列に論じられない。かなりな有力な反対意見の中かろうじて有罪に出来たってことです。
もっとも翻訳者も版元も司法秩序の枠内自体を否定する言動を繰り返し、著名な文芸人を総動員した劇場型公判を遂行。法廷がアナーキー空間となってしまった。
判決は敗訴でも裁判には勝ったようなもの。
更に四畳半襖の下張り事件
野坂昭如氏が、サド裁判の第二幕を目論んだ訳でもないが....担いだ神輿がよろしくなかった。
伝永井荷風作であり、彼の定本全集にも同名の作品はあるが、全くの別物。仮に真作ならば.....
敗訴判決の論旨はサド裁判の反対派意見....アタシの命名だと「相対性ワイセツ理論」に準拠します。
つまり著作の主たる意図、藝術的表現部分とエロ表現の割合なんかで判断する....
仮にも公判で文献学者や文藝史家を総動員して合理的な疑いのはさむ余地のない程度に真作である事を論証しようとはしなかったのかなあ?荷風の真本となれば、文化の発展に勲績卓絶と御上が認めた文化勲章受賞者をエロ作家と貶めることには....保守系判事ならば躊躇うだろう。
一連の猥褻裁判は、ある意味で勝利の積み重ねなんですが、昨今のろくでなしどもは遺産の食い潰ししかしない。
長い前書きがやっと終わりました。
悪徳の栄えの翻訳者である澁澤龍彦さんのことは、またの機会にします。
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