2023年10月3日火曜日

カエル男

 中山七里氏のお手軽ミステリー。



近代刑法の基本骨格である責任主義に対するオブジェクションを基層とする異色の社会派ミステリー、、、と言いたいところだが、ただの意図的な露悪趣味に見えるし、、、寝転んで読むには推奨しますが、この程度で「刑法典上の責任主義」が理解できると思わない事。


白痴痴愚魯鈍の類い(差別用語かなあ?明治の頃の精神医学書を横にして書いてるもんで、、、)が凶悪犯罪を犯したにも関わらず心神喪失あるいは心神耗弱により無罪あるいは減刑。医療刑務所に収監されたが半年後に「完治」と診断され退院、、、暫くしてまたぞろ


それじゃ困るのだが日常風景に近いし、問題だと誰もが考えるが口うるさいジンケンハや無知蒙昧な厳罰派の不毛の論争が起きるだけ。


論点整理として、


責任主義は近代的な刑法概念以前から存在する。

養老律令(現存する最古の倭國の刑法典)の趣旨からすれば「幼弱、老耄、醜愚はこれを罰せず」とされていますから、これは理屈ではなく自然法理だという事。刑法39条廃止!なんて口走ると恥をかくだけ。

中華四千年の治世の要諦にケチつけるなんて無謀な事はしない。


精神鑑定は科学かどうかに疑念がある、、、から法廷で裁判官は鑑定結果に拘束されず自由心証で判断する。鑑定人の主観でなんとでもなる世界だし(中山七里氏の作品では原告代理人と鑑定人が親しく、、という事実があとから明らかになる)科学かどうかの疑問を排除出来ないと「合理的な疑いを差し挟む余地」ばかりで精神鑑定なんかそもそも無意味だということになる。


寛解はしても完治しない、、、完治しなければ再発しますよねえ。犯罪傾向のある寛解者を野放ししていいわけはないし、かといって著しく行動の自由を奪っていいとも思わない。

折り合いをつける事は難しくないが、誰もその一歩を踏み出さない。



原作よりもドラマ版の方がおもしろいかも。

なんせ、登場人物の誰もが病理的なんですから。

つまり、誰が異常な猟奇殺人者でもおかしくない

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