百人一首の和歌の中に「秋の夕暮れ」は二首。
部立からすれば、恋歌が半分くらいで、秋部はたった16首(だそうな)
その中の二首ですからなかなかに異様というか、選者のかぶいた好みかは知らないが、、、
さびしさに宿を立ちいでて ながむれば
いずこも同じ 秋の夕暮れ(良暹法師)
村雨の露もまだひぬ 槙の葉に
霧たちのぼる 秋の夕暮れ(寂蓮法師)
前者は後拾遺和歌集収録で、勅撰集に始めて「秋の夕暮れ」が登場した記念碑的な和歌。
作者はまったくの伝不詳。
秋の孤独と寂寥感満載の秀歌、、、と百人一首信者はいいますが、四句目がことわりめいておもしろくもなんともない。
そんな気分ならば、、、
秋深し となりは何をする人ぞ
この俳句の方がまだマシ。
新古今和歌集秋下部収録の後者は言うまでもなく、四句目が絶品の秀句表現。後に禁句扱いとなることからしてもプロをも唸らせ、、、況んや素人鑑賞家は言うに及ばす。
で、冒頭の「三夕和歌」のこと
秋夕暮和歌の最高峰、、、だとはアタシは必ずしも思わない。
新古今和歌集には、秋夕暮和歌が八代集の半分を締めます。
つまり王朝美學というよりも新古今美學だということですが、この十数首は適宜秋部のあちこちにばら撒かれており、たまたまこの三首だけが連続している(実は、四首連続で、正しくは、寂蓮西行定家雅経とならびますが、凡庸な雅経の和歌は蹴落とされた)
しかし、この三首が新古今の秋夕暮和歌の最高峰かなあ?
四句目コアコンピタンス説にたつならば、定家はつまらない(この和歌自体はそのシュールさに於いては詩歌史に残る名歌)
寂蓮の「霧たちのぼる」はいうに及ばず、良経の
おしなべて おもいしことの数々に
なお色まさる 秋の夕暮れ
のほうをアタシはかう。
つまり、抒情と叙景が融合した四句目の風景が秋夕暮れに佇む様こそが最高峰!
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