2023年11月29日水曜日

音楽の愉悦

 





今年の「レコード大賞」の候補と、、、なんだね、この「特別功労賞」って?

それについては論評しないが、今年を代表する「アイドルと呪術回戦」を横に置いて何をやってるんだ。

だから、グラミー賞と違って、畏怖も尊敬も憧憬にも無縁なのが、レコード大賞




非難や批判するのはまだ見捨てていない証しだと思えば、、、いまやアタシは完全無視だから(^^)

 
・・・ここまで書いたところで書きたいイメージが胡散霧消してしまい、、、
石井宏先生の「反音楽史」を再度拾い読んで、元気が出ました。
この著作は(山本七平賞受賞作らしい)痛快で刺激的で反語的なのです。
刷り込まれた天動説みたいなものから距離を置いて冷静に音楽を見つめることができます。
アタシが読むよりも、正座して精読すべき業界人は数多いそうだ。


さて・・・(先生のご高説をベースに)

  
①音楽史は、作曲家史であっていいのですか?

譜面はそれ自体設計図に過ぎず、出来上がった構造物=演奏物こそに価値がある。
先生は、記譜のことを「音楽の骸骨」ってまで言い切ります!
グールドが弾くからこそゴルトベルクは名曲であり、手前どもだと漬物が腐る



悲しい酒も涙の連絡船も名曲たる所以は、ひばりさんやはるみさんの絶唱があるからです。
矢切りの渡しも、彼女の唄があるから名曲なのよ(他の歌い手さんではダメ!)



 
②高踏音楽と低俗音楽って誰が分類したの?
 
バロック時代や前期古典派のころまでは、そんな区分はなかったと言われています。流麗で楽しい旋律は、生活の一部でした。
デイベルテイメントって・・・まあ食欲増進薬や睡眠導入剤の代替物だったのです。
みんなが楽しめる音楽こそが本流であり、難解な精神性のみを追求するのは大衆を困惑させ、遠ざかるだけ。
変にお薬にたよる現在よりもはるかに健康的ですが、
モーツアルトさんも不幸なことに昔は「♪♪お母さんと一緒学派」と貶められていたのです。
そんな彼だって、やろうと思えば、レクイエムもつくれます(残念ながら未完で、この部分だけは他人の筆が入っていない)
  


③記譜通りに弾かないとだめなのか?

少なくとも、コンクールでは絶対に駄目です。しかしキースジャレッドの即興演奏って記譜以上❣️



自己流のコロラテイーナ(装飾音)をいかに駆使するかで技量を問われることもあります。
技量はあっても、創造性にかける音楽家もいたらしく、モーツァルトさんはそれようの楽譜を書いてあげたそうです。
表現に関する記譜符号に関する限りは、演奏家は作曲家の奴隷ではない・・と思うのですが、それでも
ここんところは、プロ演奏家と意見を異にするみたいだわ。
モーツァルト演奏家として定評のあるリリークラウスによれば、、、


才能があるんだから素直に弾けばいいのに、変に気を衒って


 
④ドイツが音楽の保守本流なの?
 
音楽用語の多くはイタリア語ですので、源流は、他の文芸同様に古代ローマ以来の芸術の伝統を基盤としています。
18世紀での一流(とされる)の音楽家は、イタリアン人であり、ドイツ人であれば、いくら優秀であっても二流とされました。
だからそれなりに認知されようと思えばイタリア留学の看板が必要だったそうです。
モーツアルトさんの悲惨で不幸な人生の多くの理由は、その人種性と学歴にあったとされます。
ライバルといわれたサリエリってイタリア人だったんだって
才能がはるかに凌駕しても、駄目なのは駄目なんです。
門閥とか学閥みたいですねえ。

 
⑤声楽と器楽はどっちがうえなの?

人類にとって最初の「楽器」は、自前の声。
そして、究極の楽器。
なんと、女性の高音を男性のような強くたくましくうたうためにカストラーデ(去勢歌手)まで作り上げてしまった。 
声楽に適した言語はイタリア語の右に出るものはない(らしい)
けだし、イタリアオペラこそがオペラの頂点であったのは、それも理由のひとつらしい
ロッシーニ・ベルデイ・プッチーニ とその系譜は音楽史そのものではないか。
しかし、いまや、どっちかといえば器楽 それも交響曲が上位を占めるのが社会通念化している。
どうも、声楽の技量が衰え、器楽の楽器の性能が向上した技術的要因が主因ではないだろうか?
石井先生の説によれば、これはドイツ人音楽評論家の陰謀らしい。
ドイツ語は、思弁するとか論理を語るには適しているが、愛や恋には不向きである。
同じ「苦悩」であっても苦悩の性質が違い、異性に対する憧憬もその様相を異にする。
どうあがいても、イタリアオペラを凌駕出来ない以上、下等音楽のレッテルをむりやりに張ったということである。

 
⑥正しい「歴史認識」とはなにか

ヨーロッパの文芸がルネッサンス以降イタリアが本家&元祖で、それがフランスに移植され・・・ゲルマンの地は最後まで蛮族の文化はつる辺境の地であった。
それが当然でしょう。
ドイツが発展するのは、19世紀以降の軍事的勃興以来であり、普仏戦争で頂点に立ち、第一次世界大戦の敗北で徒労に終わった。
その間の、観念性豊かに厳格・堅牢・権威主義なドイツ文化は、日本に多大な影響を与えた。
最近は患者さんのことを「クランケ」って言わないらしいのは慶賀の至り(笑)


   
ともあれ、50年間の権力主義的な時代は終わったのですが、長年の刷り込みは簡単にはぬぐえない。
音楽史において、ベートーヴェンさんは分水嶺です。
だって、それまでの音楽家は、みなさん鬘に金粉と半ズボン。
彼以降ですねえ・・地毛振り乱して・・・ちょうど音楽界のサンキュロット派です、
フランス革命って音楽にもとんでもない影響を与えたようです。


 
音楽は楽しい。楽しいから音楽を聴く。
高い精神性も、それを楽しめるからである。
カルメンやマダムMのクライマックスで泣くことのない蝸牛庵も、グリザベラが天上に上るCATSのエンデイングでは毎度泣くのです。
たかが大衆音楽ですが、感動を与えられない芸術はクラッシクであってもそのうち死滅します。
 
 
えっと、誤解を恐れずに言えば音楽にどのように「楽しみ」を得るかはそれぞれです。
崇高な精神性に涙し、その権威性にひれ伏し、かの難解性に打ちひしがれる・・・楽しみ方も否定はしませんが、音楽にはやはり、南欧の陽光がお似合いだと思うのです。


0 件のコメント:

コメントを投稿