2019年10月7日月曜日

サブカルの時代



江戸時代って文化史的には軽いって感じします。
鎖国、寺請、士農工商、五公五民とか制度の頸城のなかでの閉塞感なんて
左翼史家の妄語だわ。
だっから、町民文化(文化の担い手が町民じゃない)と言われる。
文化史の保守本流じゃないサブカルチャーって雰囲気。
しかし、保守本流が今の純文学以上に脆弱化し、
未来創造力をなくしちゃってますから、
サブカルこそが王道だったのよ。

文藝的には、最初は浮世草子
西鶴なんかに代表される...色と欲の風俗小説
梶山季之と宇能鴻一郎をひとりでやってのけましたから、
西鶴さんはかなりの才人。
今でも、経済小説と官能小説を一手に引き受ける作家はいない。

韻文の世界は...言わずと知れた、狂歌に川柳
故事来歴やら森羅万象の知見を背景に創作されますから
読者だって馬鹿じゃ勤まらない。


読み物の世界は段々に字と絵のハイブリッド化が進んでくる。
挿絵と言ってしまえば、下流ですが、
人気の浮世絵師が手掛けたりしますから、そう馬鹿には
出来ない。
しかし、肉筆画に比べりゃギャラ安かったのか結構粗雑。
字と絵の主従関係はそれぞれだが、片方だけでは成り立たない。
相乗効果が、新たな芸術の高み...と言いたいが、
お互いが説明効果しかない。
絵巻物の水準には遥かに及ばない...っておもうのよ。
鳥獣戯画を漫画の濫觴とは...これはこじつけ
これには字がないはず。


リンクの画像は、小林博士の労作の表紙なんですが、
品のない版元から出版したところからして、江戸前文藝の
世間評価がわかります。
たしかに...コンテンツも吉本を多少知的にした程度
それは博士の学識ではなく、取り上げた素材がということ。
素材に関わらず、研究されているものはちゃんと学問です。
昨今は、マンガ学部があるらしいが、
カリキュラムを見てみたい。
構造化された知の体系になっているのかな?

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