2019年10月10日木曜日
苦集滅道
全ては「空」だ。
それがどうした?
だからなんなの?
凡愚のアタシには、解らない。
分かる事は、釈尊さまはこんなややこしい事を
仰ったはずがない..あるいは言い方をしたはずが無いという確信だけ。
釈尊が最初の説法で仰ったのは四諦(四つの真理)
まず、とかくこの世は四苦八苦だらけでままならない
世界は苦悩で成り立っている(苦諦)
この世の苦悩は、欲望や妄執やならぬものをなそうとする
あるいは掴んだシアワセを失いかもしれないって
見果てぬ悪夢のなせる技(集諦)
悪夢から覚めて執着心を捨てる事が苦から脱却できる
唯一絶対の悟りの道(滅諦)
悟りの道を正しく歩む為には八正道を実践する(道諦)
実に実によく分かる行列のできる説法です
もちろん、聞いただけじゃダメ
実践をしないと...それが出来ないから堕落した宗教が
阿片のように蔓延ったのです。
明白なことは、生きている生身を生きているうちに救う事が釈尊の教え
死んだヒトザルの供養や供養のしきたりなんかに
興味はない。
な 四諦は経文に使われる用語ですから、呉音で「したい」と読む。
英訳では、Four Noble Truths
だから、チャイ語なんかだと、四聖諦
この場合は、単なる普通名詞の扱いですから、漢音で「よんせいてい」とよむそうな....
漢字学的には、冒頭の画像の通りです。
けだし法則に忠実。
全てを「諦める」事なのだ!と曲解してはならない。
諦にはさまざまな語義がある...事を今朝は学んだ。
夕べに死すとも可なり
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