2019年10月5日土曜日

江戸のサブカルチャー


サブカルチャーとカウンターカルチャーは、
似て非なるものだが、非ではあるが似てもする。
サブカルチャーは派生的だが、カウンターカルチャーは、
オブジェクション的だ。
上下と左右みたいなものだが、文化に優劣はない。


倭国の文芸(学藝)の保守本流の伝統は、韻文詩歌である。
しかし、漢字文化に対するカウンターカルチャーと言われるが、
サブカルチャーと言えなくもない。


万葉集以来の詩歌の伝統は、古今、新古今と八代集に結実し、
今ひとつの流れは、韻文と散文が混交した歌物語
歌物語は、韻主散従だが、散文主になるのに時間はかからず
源氏を頂点に...余りに素晴らしくて超克するものがなく
王朝文藝は衰亡する。
このあたりまでは、優れてサブカルチャーだ。

王朝文藝の最後の光芒が謡曲
過去の有名な韻文散文、更には漢文まで..混ぜご飯にしてしまった。
能楽の新作能のつまらなさの本質はここにある。
混ぜご飯の具材が悪いのよ..或いは具材なし
不味くてねこまたぎ。


古今、新古今の克服は、明治の写実主義まで時間がかかった。
既存画壇に対する印象派絵画と同じ。
つまり、カウンターカルチャー。
いまや、本流は写実主義...(アタシは嫌いだが)


長い前置きで疲れたし、あまりにも狂言綺語。
時間もなくなったし、江戸時代のサブカルチャーはまたの機会に
まるで、神田松之丞の講談❣️

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