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モノの本には、この白楽天の詩歌を「美の発見」の初出典とし、後年の白氏文集の崇め方に比定するが、思い上がりも甚だしい。美の発見は中華の専売特権ではない!....こころあるヒトザルは誰でも感じ入るのよ。
後先を軽々に論じるわけにはいかないし、意味もないが..
日本語における初出は『万葉集』巻十八に残る大伴家持の歌である。
雪の上に 照れる月夜に 梅の花
折りて贈らむ 愛しき子もがも
家持は、白楽天よりも時代が多少早いから、それに影響を受けた訳ではない。
美しいものは誰が見ても美しいが、、、宴会の戯れ歌のようだから、藝術性のレベルを論じるに至らない。
一方で....この白楽天の詩歌ですが、遠くに転勤した部下を思い出してってことらしいが、上司にここまで心を寄せられると...なんとも言葉にならないし、
なんともあらぬ妄想までよぎってしまう...さすがにさすがに名歌。
しかし、、、つまんない読み方もあります。
三句め
当時のエリートの嗜みは、
琴を弾き
詩を作り
酒を呑む
昭和のオジサンの、ゴルフ、カラオケ、麻雀よりは
遥かに知的だわ。
悔しいがやはりアイツらには敵わない。
が、、、こんな下らない結語だとオトコが廃る。
知的にまとめよう
鎌倉時代の摂関家の摂政太政大臣九条良経
空虚なまでに虚無的な...位階の頂点まで極めた貴族の天才が雪月花をうたえばこうなります
春の花 秋の月にも残りける 心の果ては雪の夕暮れ
これならば、白楽天に負けない
至高の諦観の境地!
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