昨今は一生懸命と書きますが、歴史由来的には一所懸命が正しい。
武士が生存の糧である所領を命懸けで護り維持管理した事が成句の始まり。
近世に於いては近代的な土地法制ではなく、百姓には耕作権(水田利用権)にあるにとどまる。
田畑を耕し年貢を納め家族を養う...それもこれも水利があってのこと。
秀吉政権下の摂津国鳴尾郷
ある年未曾有の旱となり稲は枯死寸前。
近隣村に水利を懇願するも拒絶され...已む無く水泥棒とあいなった。
当然紛争となり、双方村を挙げての騒乱となり、片桐且元の裁きに至る。
水利に関する罪は現行刑法典にも記載されているが、事情によっては結構な重罪。
当時ならば死罪も当たり前。
しかし、事情が事情なのでなんとか穏便に済ませたいと片桐は考えるが、頑じえない村民達。
片桐曰く
その方たち、命と水のどっちが大事だ?
村民たち申すに
水の一滴は血の一滴、水一石に比べれば我らが命は鴻毛よりも軽い。
決意に感じ入った片桐の判決...
首謀者は死罪
但し水利の権利は永代認める
おかげで江戸時代を通じて水不足に悩むことがなかったと伝えられる
甲子園の山側界隈にある義民碑に委細は詳しい。
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