2021年6月2日水曜日

古代史の皇女たち

 

このようなやんごとなき称号は厳密且つ正確に使用しましょう。
皇女とは天皇の娘のこと。
内親王は単に皇族の身分に過ぎず、現行皇室典範では天皇からみて嫡男系嫡出で2親等以内の女性及び天皇の姉妹に与えられる。
従い、今では皇女はたったお一人しかおられない。

天皇の系譜を眺めていても...実のところあまり面白くないが、、ポイントは.....

基本は長子継承なんですが、兄弟でたらい回しとか基本に外れた継承はなんだか「お家騒動」めいた何かを思い浮かべる。


⬛️神功皇后

正確には開化天皇五世ですから皇女ではない。

同じ五世でも継体天皇と違い、系譜は明白だが実在性は疑われている。

仲哀天皇の皇后で応神天皇の実母

明治の最初の紙幣の肖像に抜擢されたのですから、当時的には人気や知名度抜群だったはずだ。

なんちゃって、半島制圧の外征的勝利の立役者だし、応神の兄貴達による皇位簒奪の陰謀を防いだし、、永らく天皇と見做されていたが、大正期の皇統譜整理の際は天皇ではないとされてしまった。

当時は牝鶏晨する政治の惨状を清国と李氏朝鮮で散々目の当たりにしたから忌避したい心理が働いた...という史家の意見はそうかも。

それにしても70年余りも応神天皇の摂政って長過ぎませんかなあ?


⬛️飯豊青皇女

履中天皇の皇女(異説あり)

清寧天皇と顕宗天皇の間、執政をおこなったとされ、書記には「崩御」と記載されてますから扱いは天皇そのものであり、女性天皇の先駆者のお一人。

この頃の皇位継承を見るになにかと色々あって、彼女で上手く収まったみたい...事跡等はあまり詳しくないので省略





⬛️手白香皇女

以前も書きましたが、血統の絶えた皇位を越前の有力者を「入り婿」にする事により天皇家の血脈を護った大功労者です。継体天皇の嫡子三人の皇位争いは最終的にこの皇女の御子息である欽明天皇に受け継がれて今があるのです。



これら辺りは神話と古代史が混然としており、よくわかりません。

大胆にまともな天皇の系譜と言われれば、畏れ多いが、継体に始まり二代飛ばして欽明....今に至る


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