全くそう言うつもりもなく・・・
なんとも、俳句風味なタイトルは、ある種の絶景
歳時記にのせてほしいくらいの絶唱・・・と自画自賛したいが、あまりにも自由律だと非難されるかも。
GW明けくらいから「クールビズ」だとか言われると・・・夏って「五月から七月」のはずもなく、陰暦では「4月から6月」をいうが、まあどっちでもいい。
季節が一夜にして変わるって誰も思っていないからこそ、
片面涼しき風が吹く とか
目にはさやかに見えねども って王朝歌人は歌ったのです。
もっとも四季折々に季節の移り変わりを感じるのでなく
冬から春
夏から秋
に限られますってところが多少ご都合主義
夏の到来は、暦よりも風物のほうが似つかわしい。
勅撰和歌集であっても「夏歌の巻」は分量的に貧弱である。特段ネタがないわけではあるまい
藤
時鳥
橘
卯花
常夏
月
五月雨
・・・といっても「古今」だとこの程度。
優雅に一首ひねろうとしても、暑いし、湿気が高いし、やぶ蚊が飛ぶし・・・それどころではなかったし、
活動時間帯の夜が短いから、ろくに作歌時間もなかった。
しかし、辺境美の極致みたいな一首があった!
夏の月 光をしまず 照るときは 流がるる水に かげろふぞたつ(興風)
複雑な技巧を凝らしているわけではないし、縁語掛詞も登場しない。
言ってしまえば「日記タイトル」の通りの幻影的な風景である。
陽炎は、昼の盛りの照りつける太陽のもとでの光景だろう・・・ってしたり顔に思ってはならない。
歌人の眼にはそういう風景が目に映ったってことが大事なのです。
優れて理知的ですが、古今時代の歌人は「なにもない空間や水底」に幻視を見る
影見れば 波の底なる ひさかたの 空漕ぎ渡る われぞさびしき
月影の 見ゆるにつけて 水底の あまつ空とや 思ひまどわぬ
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ウィキをググるに「月陽炎でも陽炎月」なる用例はありません。
唯一が....アダルトゲームソフトらしいが、初耳(当然でしょう・・・)
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