2021年6月19日土曜日

俳壇に新風! 月陽炎の立つ夏の日の水面

 


全くそう言うつもりもなく・・・
なんとも、俳句風味なタイトルは、ある種の絶景
歳時記にのせてほしいくらいの絶唱・・・と自画自賛したいが、あまりにも自由律だと非難されるかも。

GW明けくらいから「クールビズ」だとか言われると・・・夏って「五月から七月」のはずもなく、陰暦では「4月から6月」をいうが、まあどっちでもいい。


季節が一夜にして変わるって誰も思っていないからこそ、

片面涼しき風が吹く   とか
目にはさやかに見えねども   って王朝歌人は歌ったのです。
もっとも四季折々に季節の移り変わりを感じるのでなく
冬から春
夏から秋
に限られますってところが多少ご都合主義





夏の到来は、暦よりも風物のほうが似つかわしい。
勅撰和歌集であっても「夏歌の巻」は分量的に貧弱である。特段ネタがないわけではあるまい


時鳥

卯花
常夏

五月雨

・・・といっても「古今」だとこの程度。
優雅に一首ひねろうとしても、暑いし、湿気が高いし、やぶ蚊が飛ぶし・・・それどころではなかったし、
活動時間帯の夜が短いから、ろくに作歌時間もなかった。
しかし、辺境美の極致みたいな一首があった!


夏の月 光をしまず 照るときは 流がるる水に かげろふぞたつ(興風)


複雑な技巧を凝らしているわけではないし、縁語掛詞も登場しない。
言ってしまえば「日記タイトル」の通りの幻影的な風景である。
陽炎は、昼の盛りの照りつける太陽のもとでの光景だろう・・・ってしたり顔に思ってはならない。
歌人の眼にはそういう風景が目に映ったってことが大事なのです。

優れて理知的ですが、古今時代の歌人は「なにもない空間や水底」に幻視を見る

影見れば 波の底なる ひさかたの 空漕ぎ渡る われぞさびしき
月影の 見ゆるにつけて 水底の あまつ空とや 思ひまどわぬ


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ウィキをググるに「月陽炎でも陽炎月」なる用例はありません。
唯一が....アダルトゲームソフトらしいが、初耳(当然でしょう・・・)

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