2021年6月5日土曜日

時間の感覚

 一週間の始まり....カレンダーの表記からすれば、日曜日始まりと月曜日始まりの併列が昨今の状況。時代による働き方で変わるのですよ。


さて「一日の始まり」
当たり前の事で、午前零時!
しかし「午前零時」は人口的なものであり、江戸時代では「夜明け」あたりが一日の始まり。

自然のリズムと生活のリズムが合致していたある意味で素直な社会。
この時代のヒトザルは早起きだった。

お江戸日本橋「七つ発ち」


明け七つとは寅の刻だとは以前に書きました。

午前三時から五時までの頃

この頃に参勤交代にせよお伊勢参りにせよ出立したのですよ。





朝廷なる言葉。朝早くからお仕事を始めて所定労働は午前中には終わる事に由来し、この勤務形態は江戸時代にも継承され...一般庶民の労働時間も同じようなものだったらしい。


平安人の時間感覚....小林賢章氏の労作を読む。





氏によれば、午前三時が一日の始まりだったのが、王朝人の感覚。

一日が始まり、アタフタと仕事場に出かける時刻あたりが「暁」

語感からして、辺りが明るくなりつつみたいな思えますが、まだ真っ暗のようです。

多少あかるくなりげだと、東雲、有明....

そして夜が明けてしまうと「つとめて」


しかし、使い方に異同があり、実際にどういうつもりで使っているかは文脈判断をするしかない。

昭和のおじいさんは「暁」なんて聞くと


暁に祈る...なんかを脊髄反射的に思い浮かべる。

愛国戦時歌謡で、行間に反戦を滲ませた哀愁あふれる名曲ですが、暁の意味合いはなんとも言えないが、、


飲まず食わずの日も三日

捧げた命もこれまでと

月の光で(故郷の妻子あてに)走り書き


歌詞からすれば、まだまだ朝ぼらけではない夜明けの前の一番暗い時間帯....が作詞者野村俊夫さんの時間感覚です。



暁の話題が、歌謡曲暁に祈るに転じてしまえば、どうしてもあの「暁に祈る」捕虜リンチ虐待事件について書きたくなる。

これも、南京ナンチャラ事件、うんたら慰安婦事件と並ぶ「反」日新聞社のある種の意図性を感じさせるスクープなんだが、、、今度にしよう。



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