2021年6月23日水曜日

笹の雪

 





根岸の里の侘び住まい....ってことですが、豆腐の思い出でも。
創業三百年になんなんとするとうふ料理の老舗が、鶯谷駅の近くにある。

この名店では豆腐と書かずに「豆富」と称します。


浅学菲才の身ゆえ知らなかったが、
寛永寺の法親王が京の都から持ち込んだのはさえずりのきれいなウグイスだけではなく、京都の絹ごし豆腐もそうだったそうです。
創業者は宮家御用達だったのでしょうが、はるばると野暮とバケモノしかすまない江戸の地までやってきたのですよ

紆余曲折の果てに立派なお店を構えていますが、最後に訪れたのは四半世あまり前のこと
在任中に無念の病死をとげた職場の先輩の退院祝いの席。
病み衰え、食も細くなり・・・
豆腐くらいなら食べれるだろう...とか、当時のアタシは小器用なパシリでしたから、お店を探し予約をして....上司の役員と部長のお手元で四人で卓を囲む。

無論バーテンダー役もアタシ

思いがけなくも先輩は食が進み、明るく談笑。
今から思えば、燃え尽きる前の蝋燭の輝きだったのかもしれません...(シンミリ)



近くに子規庵が有り、正岡子規もご贔屓だったとはその時に伺ったはなし。
細川家に預けられた赤穂浪士に、法親王が差し入れたのもこのお店のおとうふだそうです。
聞き及ぶに、幕閣では浪士の処分をどうするか考えがまとまらず、困り果てた綱吉は法親王に相談したとか・・・
世間知に乏しい皇族の「粋な意見」ってにわかに信じがたいが、そういう文脈でこの「差し入れ」を考えれば、なんか得心するところもある。

忠臣蔵ものでは、二人の相談するシーンは見た記憶があるが、豆腐はどうだったかなあ?





0 件のコメント:

コメントを投稿