論理的な民族性だと思っていたが、ネオナチの跋扈に手を焼いたからかなあ?
ナチスに罪はあっても、この名曲には罪はない。
そんな事を言い出せば「戦乙女の騎行」はもとよりリストの「Les Préludes」だって演奏禁止だろう....
このズバリ「戦車の歌曲」は1933年に作られた行進曲。
60年代半ばの「バルジ大作戦」に使用されて世界的に有名になり、この曲をテーマ曲にしている軍組織もあるらしい。
プロ選手登場曲にあるかと捜したが...よく分からない。
そして「ガルパン」でも使われましたから若い世代にも一定の認知度がある。
アタシも大好きですが、それは戦車もさることながらJKの制服の魅力(^.^)
この戦争巨篇は、インターミッションまであるのですが、CG以前の作品ですからかなりなチープ感で、残念と言えば残念。
ロバートショー(JBのロシアから愛をこめてで一躍名を売る)は、ドイツ国防軍の戦車隊長として登場。
有能且つ冷酷非情な金髪鬼のイメージが定着してしまったのは、役者としては不幸かも。
元来はスティングの少しマのぬけたコミカルな大物が似合うんだが、、、
つらつら思うに...ドイツの自動車産業技術の精華があの機甲師団の活躍に現れた訳であり、この名曲が生まれたのはある種の必然である。
かえりみて倭国の軍歌を思い浮かべるに、戦車の軍歌はないではないが凡そ知名度はない。
あんなポンコツ戦車に華は感じないし、「愛馬行進曲とか、、走れ日の丸銀輪部隊」...馬や自転車が機動力の核だったわけですから涙が出ます。
だからやたらと肉弾突撃白兵戦な歩兵の歌ばかり。
こうなるともう涙もでないし、、、
輜重輸卒が兵隊ならば 蝶々蜻蛉も鳥のうち(🎵)
このロジスティック軽視の戯れ軍歌を耳にすれば、怒りを通り越して、天に嘆息するしかない。
偏差値と自己顕示欲の高いエリートまがいを重職につけるとあんな風になってしまうのは....
実のところ明治以来の宿痾的な伝統
When we understand that one gun which scores a hundred per cent. of hits is a match for a hundred of the enemy’s guns each of which scores only one per cent.
かの秋山真之参謀の手になる連合艦隊解散の辞の一節の英訳版(アメリカ海軍軍令部の訳だと思います)
まだしも論理的な思考ができるはずの海軍がこうなんだから、況や、、、
後年米内光政は「東郷平八郎は算数も出来ないのか!」と罵倒したらしい。理性的な軍人であるが故に彼は大将にはなったが軍令、軍政とも要職にはつけなかった...今の倭国でもロジスティック重視なんて口走れば、頭よくても絶対に偉くなれない。
ところで、この敗色濃厚なドイツ軍の乾坤一擲な反撃作戦の経過はよく知りませんが、映画では戦車の燃料切れで戦闘は頓挫。兵士は戦車を乗り捨て、歩いて国に帰ったようです。
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