漢和辞典的には、、、
史記(司馬遷の殷本紀紂王の項)の記述に由来する。
酒をもって池と為し、肉を縣けて林と為し....
要するに、豪華な食事がたらふくとあれこれ酒瓶の山々の贅沢な宴会ということ。
いかがわしいホステスやホストとの狂瀾を意味しないって....謹厳な辞典には書いてますが、食欲に淫欲は付き物。原典にも...
男女をして倮(裸)ならしめ、あいその間に逐わしめ、長夜の飲をなす。
夜通しの乱交パーティーでなかったと想像する方がムッツリスケベでむしろ嫌らしい(^^)
講談社学術文庫版の井波律子氏の著作を読んでますが、あまり存じ上げない方ですが学際的な研究機関の研究者のようです。
この文庫はおよそ再版されないような面白くなくて学術的価値にも疑問ある書籍の山々なんですが、稀には、、、
倭国風の天下取っても二合半って質実な気風は中華帝国の皇帝には耳を貸さないし、なんせ世の権力者は不要不急に無用の贅沢三昧に国費を浪費したがるものらしい。
三度三度の食事に贅を凝らしてもしれてはいるが、
珍奇や貴重な文物をかき集めたり、無意味な土木建築事業にのめり込めと、、統治の末期症状と相場が決まっている。
中華帝国皇帝の末期的な公共工事の中で、歴史的に意味ありげなのは、隋の煬帝の南北をつなぐ大運河くらいなもの。
西洋と違って、資本主義の胎生のなるような贅沢な浪費を産まなかったようだ。
しかし、文化事業的にはさまざま見るべきものがあったと著書は言いますが、、なんとも
資本から来る超過利潤の使い方こそが未来をつくる。
ブッテンブローグ家の歴史(トーマスマンの小説)によれば、蓄積された富は、まずは地位の獲得のために、そしつ名誉のため....最後は文化へ。つまりは売り家と書く三代目
有り余るような富には縁がないからよくわかりませんが、観念的にはそうするんだろうなあ。
今更地位なんて無縁だし、名誉って.....小惑星や恐竜の化石に名前をつけられてもあんまり嬉しくはない。
図書館や文化センターに名前をつけてもらうと、、、
カーネギーホールみたいな知名度が上がるならば、それは嬉しいが、、、
倭国の権力者は代々比較の問題ですが禁欲的です。個人的な趣味の酒池肉林系ってあまり聞き及ばない。
淀屋の座敷が凄いとか紀伊國屋文左衛門が吉原で大散財したとか、その程度。
しかし、斯様な良き伝統は失われて、小賢しいかたちで今ほど跋扈している事はない。
黙食あるいはステーキ会食に多人数の政治資金集めパーティーの横行やら、無駄な公共工事や政策への予算付け....無論原資は税金ですから、虎よりも酷い苛政とはこのこと。
頭の黒いネズミが一匹ならば、ゴルゴ13さんにお願いで事は改まる....が、中央の官衙全体がそうなのが、昨今。
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