五月まつ
花たちばなの香をかげは
むかしのひとの 袖の香ぞする(古今和歌集 夏部)
後世の詩歌に与えた影響の大なる事....作者不詳だとされるが、貫之のカメオ作品だと信じて疑わない。
この名歌の本歌取りたるや、、それだけで歌集が編纂できるほどの数だがオリジナルを凌駕するほどの作品がどれだけあるかは疑わしい。
アタシの苦手種目に「花言葉」があるが、花橘は「追憶」だそうな。
何故にそうなのかの説明が稚拙の最たるものが花言葉だがこれだけは得心。この読み人知らずの和歌がモチーフに違いない。
あちこち花橘の和歌を探し歩くのは面倒だから、お手軽に塚本邦雄撰の「清唱千首」を紐解く。
夏の部の花橘主題の和歌は「五月まつ花橘」を筆頭にすべてその本歌取りばかり八首
数多い花橘歌からの厳選だからそれなりだが...やはり本歌には及ばない。
しかし、これは良い!
さみだれに
花橘の香る夜は 月澄む秋も
さもあらばあれ(崇徳院)
かなり極私的で倒錯趣味。やはり史上最強の大魔王になるだけの凄みがある.....
さもあらばあれってかのみかどの常套句なんですが、超意訳をすれば、、、エアロール(^^)
さて、薫物の王朝文化の対極が香水の文化
薫物文化は風呂と行水の前に絶滅したし、香水の文化が倭国を席巻しているわけでもない。
やはり体臭はこまめにソープで洗い流すのが一番。香水で誤魔化すのは宜しくはない....がやはりそこには文化的なものがある。
倭国では香り映画なんか手がけるような文化的映画人はいないが、西洋には香水テーマの佳作が結構あります。この視力を失い退役したエリート軍人(アルパチーノ)のお話は「香り」が隠れたるテーマ。
愚直質朴な、名門校のチャーリー君は濡れ衣を着せられ放校寸前となるが、アルパチーノの火を吹くような弁論が教員や生徒の共感を呼び、無罪放免。
その演説に感動した女教師とのエンディングのやりとり...
さすがにオスカーベストアクターの演技
その女教師愛用のパヒュームがこれ
視覚を失うと嗅覚が鋭くなるのかしら?
アルパチーノは、キャラクターに似合わないパヒュームを使うメスザルには誠に辛辣ですが、彼女は合格のようです。
この香りをたどればあなたのところへ行ける...
これが殺し文句。
ちなみに「川辺の花」と訳されていました
0 件のコメント:
コメントを投稿